樺山龍之介
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おおはし ふみのり
大橋 史典
本名大橋 幸利(おおはし ゆきとし)
別名義大橋 行利
樺山 龍之介(かばやま りゅうのすけ)
相良 三四郎(さがら さんしろう)
生年月日 (1915-01-10)
1915年1月10日
没年月日 (1989-09-20) 1989年9月20日(74歳没)
出生地 日本 愛媛県
職業俳優、造形家、スーツアクター特技監督映画監督
ジャンル劇映画現代劇時代劇特撮映画サイレント映画トーキー)、テレビドラマ
活動期間1935年 - 1977年
主な作品
『密林の覇者』
『巌窟王ターザン』
『復讐王ターザン』
獣人雪男
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大橋 史典(おおはし ふみのり、1915年1月10日 - 1989年9月20日)は、日本俳優特殊技術専門の造形家、スーツアクター特技監督映画監督であり、日本特撮株式会社(日本特撮K.K.)の元代表取締役[1][2][3]。本名は大橋 幸利(おおはし ゆきとし)[1][2][3]。旧芸名は大橋 行利(読み同じ)など[3]
来歴・人物

1915年(大正4年)1月10日愛媛県に生まれる[3][注釈 1]東京美術学校(現在の東京藝術大学)彫刻科を卒業[1][2][4]

1935年(昭和10年)、松竹蒲田撮影所の演出課に入り、映画俳優小津安二郎島津保次郎の助監督としてキャリアをスタートさせ、キャメラマンも経験した。その後、末期の市川右太衛門プロダクションに関わる[3][1][2]

1936年(昭和11年)、全勝キネマの設立に参加し、俳優に転向する[3][1][2]。初めは大橋行利という芸名で活躍していたが、後に樺山龍之介と改名して同年に公開された映画『巌窟王ターザン』等に出演し、和製ターザン役者として全勝の幹部スターになる[3][1][2]。その傍ら、1933年(昭和8年)に公開されたアメリカの特撮映画『キングコング』に衝撃を受け、1938年(昭和13年)に追随企画として製作された熊谷草弥監督映画『江戸に現れたキングコング』では猿人の造型を行い、さらに2メートル近い長身を生かしてスーツアクターを兼任するなど、裏方としても映画に関わった[4]

その後応召され、引き揚げ後は大映京都撮影所マキノ芸能社を経て東宝に入社。大橋史典と改名して山本嘉次郎の助監督になるが、相良三四郎という芸名で俳優活動も継続していた[3]1948年(昭和23年)、宝プロダクション撮影所の映画『忍術自来也』の製作活動に参加[4]。大蝦蟇、大蛇、大蛞蝓を造形。独自で軽量化したぬいぐるみ作りのためにコムパウンド・ラテックスを独自に開発し、特許を取ることになる[注釈 2]

1951年(昭和26年)、京都府に大橋工芸社を設立する[4]。この頃、請われて渡米し、アメリカロサンゼルスで建設開始された第一号『ディズニーランド』(開業は1955年)の美術スタッフに参加。2年間に渡り大道具や小道具の制作に加わる。1954年(昭和29年)、本多猪四郎監督映画『ゴジラ』で初代ゴジラのぬいぐるみ制作に関与。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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