かしだむら
樫田村
廃止日1958年4月1日
廃止理由編入合併
樫田村 → 大阪府高槻市
現在の自治体大阪府高槻市
廃止時点のデータ
国 日本
地方近畿地方
都道府県京都府
郡南桑田郡
市町村コードなし(導入前に廃止)
総人口889人
(国勢調査、1955年)
隣接自治体南桑田郡篠村、乙訓郡大原野村
樫田村(かしだむら)は、京都府の南西部、南桑田郡に属していた村である。現在の大阪府高槻市樫田地区にあたる。 明治時代の町村合併により、樫田村が発足した。地域にある樫船神社の「樫」と、母体となった村の一つ・田能村の「田」を組み合わせて「樫田」の村名が名付けられた[1]。 南桑田郡内18町村合併構想を受け、郡内の他町村が亀岡市への合併参加を相次いで表明する中で、樫田村は村を挙げて、地勢的・経済的に結び付きの強い大阪府高槻市への合併を要望した。遠因の一つとして、府境と分水界の不一致および樫田村を襲った再三の水害発生後の、京都府の冷遇対応が挙げられる。そのためか、住民の8割が高槻市への合併に賛同したという。片や、京都府議会議事録から、当時の京都府知事蜷川虎三による慰留意欲はほとんど見られない[2]。 府境を越える合併要望のため、各方面では慎重に検討された[3]。 1958年4月1日、高槻市と府を越えた合併をした。この越境合併をする前は地図上では府境が平らになっていたが、合併後は大阪府高槻市北部が凸形になり、京都府南西部は凹形になった。凹凸形の府県境による越境合併は、これが初めてである。
歴史
沿革
1889年4月1日 - 町村制により、田能村、中畑村、出灰村、杉生村、二料村の区域を以て、南桑田郡樫田村が発足。
1958年4月1日 - 高槻市に編入合併。同日樫田村廃止。
出典[脚注の使い方]^ ⇒47.樫船神社と神宮寺(高槻市ホームページ インターネット歴史館)
^ 京都新聞 2010年11月18日朝刊
^ 京都府市町村合併史(昭和43年3月京都府発行)
関連項目
京都府の廃止市町村一覧