logo横須賀城
(静岡県)
別名松尾城、両頭城
城郭構造平城
天守構造不明、3重4階(1578年築) 4重4階 構造は半分が土塁の上、半分が下にある特殊な構造だったと予想される
築城主大須賀康高
築城年天正6年(1578年)
主な城主大須賀氏
横須賀城(よこすかじょう)は、遠江国城東郡横須賀(静岡県掛川市西大渕)に戦国時代から江戸時代にあった日本の城(平城)。国の史跡。
概要西尾忠方の書による『横須賀城址』の碑
天正6年(1578年)、武田家の高天神城を締め付ける付城群の中核として、徳川家康が大須賀康高に命じて築いた城郭である。大須賀家2代の後、渡瀬家1代、有馬家1代、その後、再び大須賀家2代となるが除封され、能見(松平)家2代、井上家2代、本多家1代とめまぐるしく藩主が代わり、西尾忠成が2万5千石で入封し、以後7代をもって明治維新を迎える。
西尾家歴代の藩主のなかで忠尚は名君の誉れ高く、若年寄を務め5千石加増され、都合3万5千石になり、老中も務めている[1]。 横須賀城の特徴は他に類を見ない、天竜川より運ばれた玉石垣を用いた築城法である。天守閣は三層四階であった[2]。宝永地震のため湊が隆起してしまい、用水路を作ってしのいだ[3]。
城郭の特徴
遺構横須賀城跡公園の航空写真(1988年)。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
石垣、堀、土塁などが残り、現在公園として整備されている。国の史跡に指定されている[4]。また、不開門が城跡の北西にある撰要寺に、町番所が市役所大須賀支所北側に、それぞれ移築され現存している[1][2]。これらのうち、横須賀城のしゃち瓦と鬼瓦は、掛川市文化財に指定されており、恩高寺にある[5]。このほか、袋井市の油山寺には旧御殿の一部が移築されている。
歴代城主body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper{margin-top:0.3em}body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper>ul,body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper>ol{margin-top:0}body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper--small-font{font-size:90%}
大須賀康高(1580年 - 1588年)
大須賀忠政(1588年 - 1590年)
渡瀬繁詮(1590年 - 1595年)
有馬豊氏(1595年 - 1600年)
大須賀忠政(1601年 - 1607年)
大須賀忠次(1607年 - 1615年)
徳川頼宣(1615年 - 1619年)
松平重勝(1619年 - 1620年)
松平重忠(1621年 - 1622年)
井上正就(1622年 - 1628年)
井上正利(1628年 - 1645年)
本多利長(1645年 - 1682年)
西尾忠成(1682年 - 1713年)
西尾忠尚(1713年 - 1760年)
西尾忠需(1760年 - 1782年)
西尾忠移(1782年 - 1801年)
西尾忠善(1801年 - 1829年)
西尾忠固(1829年 - 1843年)
西尾忠受(1843年 - 1861年)
西尾忠篤(1861年 - 1868年)
この節出典:[1]
脚注[脚注の使い方]^ a b c 『大須賀町誌』大須賀町誌編纂委員会、1980年3月25日。