横芝光町
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よこしばひかりまち 
横芝光町
[栗山川漁港]


横芝光町旗横芝光町章
2006年3月27日制定

日本
地方関東地方
都道府県千葉県
山武郡
市町村コード12410-9
法人番号1000020124109
面積67.01km2

総人口20,943人 [編集]
推計人口、2024年4月1日)
人口密度313人/km2
隣接自治体山武市匝瑳市香取郡多古町山武郡芝山町
町の木
町の花さくら
町の鳥コアジサシ
横芝光町役場
町長[編集]佐藤晴彦
所在地289-1727
千葉県山武郡横芝光町宮川11902
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度39分57秒 東経140度30分17秒 / 北緯35.66575度 東経140.50483度 / 35.66575; 140.50483座標: 北緯35度39分57秒 東経140度30分17秒 / 北緯35.66575度 東経140.50483度 / 35.66575; 140.50483

外部リンク公式ウェブサイト

■ ― 政令指定都市 / ■ ― 市 / ■ ― 町 / ■ ― 村

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横芝光町(よこしばひかりまち)は、千葉県の東部に位置し、山武郡に属する

成田空港の南側、九十九里浜に面する自然豊かな町で、千葉県内の町村では人口規模が最大。

臣籍降下し上総介に任じられた高望王屋形を置き[1]、現在の九十九里町小関にて生誕した伊能忠敬が、佐原村に婿養子に行くまでの少年・青年期を過ごした町としても知られている[2]
地理[ソースを編集]

千葉県東部に位置し、千葉市から約35キロメートルの距離、東京都心から60 - 70キロメートル圏内である。

太平洋に面し、九十九里浜および九十九里平野のほぼ中央に位置する。町の北部は標高が高い場所もあるが起伏は大きくなく、中央部を九十九里平野最大の河川である栗山川が流れている。

2006年平成18年)3月27日匝瑳郡光町山武郡横芝町が合併し、新たに発足した[3]。合併前の光町と横芝町は別の郡(歴史的にはそもそも上総国下総国という別の令制国)に所属していたが、現在の横芝光町は山武郡に属する。
隣接している自治体[ソースを編集]

山武市

匝瑳市

山武郡

芝山町


香取郡

多古町


歴史[ソースを編集]

縄文前期:この頃当町の九十九里沿岸部は海であった(縄文海進)。

縄文中期:当町北部の中台などには、この頃の人類の生活跡である貝塚がいくつか残されている。

縄文後期:栗山川の河口部に形成されたラグーン坂田池乾草沼として残されている。

縄文晩期:東京湾岸方面では人口の減少があったが、九十九里沿岸では引き続き人類の生活が認められ、当町姥山にはこの頃の標式遺跡である山武姥山貝塚が残されている。

弥生時代:海岸線の後退が著しく、現在の平野の部分に陸地が広がり、稲作が盛んになった。

古墳時代:小川台に下海上国造との関係が推定される小川台古墳群が、中台に武社国造との関係が推定される芝山古墳群が築造された。

平安時代平高望良兼などの平氏の屋形があり、高望の孫の将門が反乱を起したので、難波津(現在の大阪府大阪市)から寛朝僧正が下向し、公津ヶ原(現在の成田市)で平和祈願の祈祷をした。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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