横田早紀江
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よこた さきえ
横田 早紀江
2014年1月30日、駐日アメリカ合衆国大使公邸にて
生誕 (1936-02-04) 1936年2月4日(88歳)
日本 京都府京都市
国籍 日本
配偶者横田滋(死別)
子供横田めぐみ(長女)
横田拓也[1](長男)
横田哲也[1](次男)
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ジョージ・W・ブッシュ大統領 との会談(右から二人目が横田早紀江)

横田 早紀江(よこた さきえ、1936年昭和11年〉2月4日 - )は、北朝鮮による拉致被害者である横田めぐみの母。夫は横田滋福音派の教会に所属するクリスチャン
経歴
娘の失踪まで

京都府京都市生まれ。1963年(昭和38年)に横田滋と結婚し、1964年(昭和39年)10月5日名古屋市聖霊病院で長女・めぐみを出産[2]。その後、双子の息子(拓也と哲也)を出産し、横田家は5人家族となる。

1976年(昭和51年)7月23日、日本銀行の行員であった夫の転勤に伴い、広島から新潟市に一家5人で転居する[3]1977年(昭和52年)4月、めぐみが新潟市立寄居中学校に入学し、バドミントン部に所属する[4]

1977年(昭和52年)11月15日、めぐみが寄居中学校からバドミントン部の練習終了後の下校途中に失踪する。同日午後9時50分、新潟県警察に捜索願を提出し、捜索を開始する。同年11月22日、公開捜査に踏み切り、『新潟日報』や『毎日新聞』で報道される。一年間で延べ3000人の捜査員を動員して捜査をするが、行方の手がかりがつかめなかった。

その年から夫とともに、めぐみの捜索活動をはじめる[5]

生死もわからず、何の手がかりもないなかで、早紀江は、新聞の群衆写真や雑誌のグラビアなどに、めぐみと似た女性が写っていると、新聞社に問い合わせしたり、写真の女性がいる場所を訪ねたりさえするほど、各地を必死に探しまわった[6]
クリスチャンになる

近所に住んでいたアメリカ人のマクダニエル宣教師が失踪事件のビラを作り、新潟港で配っていた。1978年(昭和53年)2月頃、娘の行方不明で悲しみの中にあるときに、友人にヨブ記を読むように勧められる[7]。ヨブ記に感銘を受けて、聖書を読むようになる。そして、マクダニエル宣教師宅で行われていた「聖書を読む会」に出席するようになり、五十嵐キリスト教会の礼拝に出席するようになる。後に、マクダニエル宣教師の影響を受けてキリスト教に入信する。

1980年(昭和55年)1月7日から1月9日に、産経新聞社会部の阿部雅美記者が日本海沿岸を中心に起きた、地村保志、浜本富貴恵市川修一、増元るみ子らの蒸発事件には、外国の情報機関が関与している疑いが強いと書いた新聞記事を横田夫妻が読み、産経新聞新潟支局の支局長に面会し、娘の失踪事件との関連性を尋ねたが、関係性は否定された[8]

1983年(昭和58年)6月に東京都へ転居。1984年(昭和59年)に日本同盟基督教団『五十嵐キリスト教会』[9]TEAMのマクダニエル宣教師より洗礼を受け、娘のために祈り続ける。その後、前橋市に転勤して、1993年平成5年)の夫の定年退職後は、一家で川崎市に定住して、日本福音キリスト教会連合の教会に所属。
拉致の情報

1996年(平成8年)10月号で石高健次の書いた記事が「現代コリア」に掲載された。このことが発端になり、1997年(平成9年)2月号の「アエラ」「産経新聞」などで取り上げられた。この記事を高世仁が安明進に確認し、めぐみが拉致にあったことが判明する。

横田夫妻の元に参議院議員橋本敦の秘書兵本達吉を通じて、1997年(平成9年)1月21日に長女・めぐみが北朝鮮に拉致されているという情報が伝わり、横田滋が議員会館で詳しい情報を聞いた。そのころ、早紀江は何も知らないまま、千葉におけるキリスト教の集会で、「せめて娘がどこにいるのかだけでも教えてください」と、仲間とともに祈っていた。帰宅後、滋から今日入った情報について聞かされ驚くとともに、「生きていたのね、めぐみちゃん」と、失踪から19年目にして初めて希望を見出す[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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