女優の「横山めぐみ」とは別人です。
よこた めぐみ
横田 めぐみ
警察庁より公開された肖像
生誕 (1964-10-05) 1964年10月5日(59歳)[1][2]
日本・愛知県名古屋市[1][2]
失踪1977年11月15日
日本・新潟県新潟市
国籍 日本
別名リュ・ミョンスク(朝鮮名)
親横田滋(父)
横田早紀江(母)
家族横田拓也(弟)
横田哲也
横田 めぐみ(よこた めぐみ、1964年〈昭和39年〉10月5日 - )は、北朝鮮による拉致被害者、政府認定の拉致被害者[3]。中学1年生(13歳)のとき、部活動を終えて帰宅するところを拉致されたとされる[4]。 明るく朗らかな性格。歌ったり絵を描いたりすることが好きで、習字やクラシックバレエを習っていた[8][15]。
人物父・滋に抱き上げられる横田めぐみ(1965年3月撮影)
年譜
1964年(昭和39年)10月5日 : 日本銀行職員の父・滋と母・早紀江の長女として、名古屋市の聖霊病院で生まれる[1][2]。以後、父・滋の転勤により東京都品川区や広島市に転居[5][6]。広島時代は、特別な道具がなくても葉っぱや木、石などを使ってさまざまな遊びを考え出す子どもであった[1]。
1976年(昭和51年)7月23日 : 新潟市に転居する[7]。
静かな住宅地で、近くに新潟大学理学部・人文学部の跡地があり、広大な空き地となっていて海岸の防風林に続いていた。夜間は人気が途絶え海鳴りの音だけが聞こえてくる[8]。めぐみは「ずいぶん寂しいところだね。お父さんはここに何年いるのかなあ」と真顔で早紀江にたずねたことがあったという[8]。
1977年(昭和52年)[注釈 1]
4月 : 新潟市立寄居中学校に進学。バドミントン部に所属する[2][10]。
11月15日 : バドミントン部の練習後の下校途中に失踪。チームメート2人と一緒に6時半すぎに校門を出て、水道町の自宅へ向かった[11]。同日、新潟県警察に捜索願が提出される[2]。同日夜、新潟中央警察署は全職員を非常招集し、県警本部と連絡を取りながら最大220人態勢で捜査を進めた[11]。翌11月16日には機動隊760人が投入されて大がかりな捜索活動が開始された。この捜索隊の規模は当時新潟県警始まって以来と言われるほど大規模なものだった。遺留品発見にも全力を挙げたが見つからなかった[11]。このとき、警察犬は必ず通学路の途中の一地点で止まったままの状態になった[11]。のちに、北朝鮮の工作員だった辛光洙らによる拉致犯罪であったことが判明した[9][注釈 2]。辛光洙は横田めぐみと曽我ひとみを招待所で教育する係だったが、辛は曽我に「めぐみちゃんを日本から拉致してきたのは自分だ」と話したという[13]。
11月16日:朝礼が少し遅れて始まり、教師が「大事な話がある」と切り出して同級生に横田めぐみが行方不明になったことを告げたという[14]。
人物像