横浜銀蠅
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THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL
出身地
日本神奈川県横浜市[1]
ジャンルロックンロール[2][1]
活動期間

1980年 - 1983年

1998年 -

レーベル

Crazyrider/キングレコード(1980年 - 1983年)

ビクターエンタテインメント(1998年)

シルバーレコード(2000年 -)

キングレコード(2020年 -)

事務所

ユタカプロ(-1983年)

嵐レコード(-2019年)

ベルウッド・レコード(2020年-)

公式サイト

Ginbae.info(2022年よりファンサイトに)

横浜銀蝿40thオフィシャルサイト(-2022年)


横浜銀蝿オフィシャルサイト(2022年-)


メンバー

ヴォーカルリズム・ギター

Johnny(ヴォーカル・リード・ギター)

TAKU(ヴォーカル・ベース

(ヴォーカル・ドラム

THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL(ザ・クレイジー・ライダー よこはまぎんばえ ローリング・スペシャル)、は日本ロックンロールバンド。本来はこれが正式名称だが[3]、メディアでは横浜銀蝿と省略されて呼称されている。
概要

ポンパドールの髪形にサングラス、ライダー革ジャン、白いドカン(ズボン)という独特の服装で登場。「ツッパリ」、「暴走族」といった当時の時代風潮に乗り1980年代前半に一気に若者の人気を獲得した。その独特な存在からデビュー以来、幅広いミュージシャン、バンドに影響を与えている。

「銀蝿一家」として弟分グループなども展開し、1983年の大晦日に「解散」したが1998年に活動再開し2020年現在も活動を続ける。楽曲としては、4人で演奏するシンプルなロックンロール、バラードなどから、笑いを誘うコミックソングまで幅広いものがある。
メンバー

(しょう、本名:田宮 将吉、1958年6月8日 - ) - ヴォーカル&リズム・ギター
楽曲の多くに作詞・作曲で名を記す。ヴォーカリストでありサイド・ギタリスト。血液型B型。またタレントしても活動し、1990年代後半にものまね王座決定戦によく出演しており、審査員や司会者も務めたが、覚醒剤使用で1997年、1998年、2003年に逮捕されたことで、タレント業は大幅に縮小し、音楽に軸足を置いた活動をしている。

Johnny(ジョニー、本名:浅沼 正人、1958年5月9日 - ) - リード・ギター、ヴォーカル
血液型はO型。グループ所属中もソロでレコードリリースなどの活動をしていた。メンバーの中で一番人気があり、バレンタインデーにはトラック何台分もの大量のチョコレートが贈られ、本人はその事が不思議だったらしく、大量のチョコレートを見て「この国はどうなってるんだ?」と思ったと言う。解散後もソロ活動を継続した後、1988年にキングレコードに就職。中山美穂的場浩司らをディレクターとして手掛け、2002年からは「ベルウッド・レコード」プロデューサー。1998年の再結成時には、復活第一弾アルバム『ぶっちぎりVII』のレコーディング及びCD・ライヴパンフレット用の写真撮影のみに参加し、ライヴは本業が多忙なために不参加、以降は横浜銀蝿関係の活動には参加しなかったが、2019年の「40th」でメンバーとして復帰。2007年1月まで、インディーズバンドを支援する「YOKOHAMA FACTORY」[4]を展開した。2013年7月、キングレコード上席執行役員と兼務で関連会社のベルウッド・レコードの代表取締役社長に就任した。2020年からはベルウッド・レコードがグループ活動のマネジメントを行っている。

TAKU(タク、本名:秋葉 卓志、1960年9月22日 - ) - ベース、ヴォーカル(コーラス)
中央大学杉並高等学校卒業[5]。 血液型B型。作詞作曲編曲家として銀蝿一家の作品の他、中森明菜、三原順子をはじめ岩井小百合おニャン子クラブ等のアイドルの作品も手がける。特に三原はTAKUの楽曲でオリコンベスト10入りをはたし第33回NHK紅白歌合戦(1982年)に出場、岩井は第14回日本歌謡大賞(1983年)の最優秀新人賞を受賞した。また、1990年に(株)日音に入社。原盤ディレクターとして、槇原敬之、島田歌穂、本田美奈子等を担当。日音制作部“秋葉プロジェクト”チーフプロデューサーとして最盛期にはオリコンチャートベスト20以内に同時に3曲を送り込んだ。銀蝿復活後2007年以降よりプロデューサー兼ベーシストとして、BRAIN WASH BAND、チェリーボーイズ等の昭和のロックンロールバンドを復活させている。

(らん、本名:田宮 淑行、1955年4月15日 - 2022年7月4日) - ドラム
最年長者。リーダーで、翔の実兄。キャンディーズのランこと伊藤蘭のファンだったことから、これをもじって「嵐」と名乗った。血液型AB型。数曲の作者として「タミヤヨシユキ」名でクレジットされている。2001年第19回参議院議員通常選挙自由連合公認で比例代表区から立候補したが、落選した。2004年脳梗塞にかかり開頭手術を受けた。2006年6月9日の結成25周年記念コンサートでは、デビュー曲「横須賀Baby」を演奏したが、その後もリハビリを続け、ドラムをサポートメンバーに委ねながらもコーラスやボーカルでステージに参加していた。キャラクターと違い声は甲高く、柔らかい人物とされた。2022年7月4日、肺炎のため67歳で死去[6]
サポートメンバー

Jack(ジャック) - ギター

Atsushi(アツシ) - ドラム 父は「
森田公一とトップギャラン」のドラマー、北村勝彦。

来歴



1979年9月21日 - 翔、Johnny、TAKU、嵐の4人でバンドを結成。「横浜銀蝿」という名称は、出入りしていた店舗のマスターから「お前らはいつも銀蝿みたいにうるさい」と言われたことから嵐が考案したと翔が述べている
[7]

1980年9月21日 - アルバム『ぶっちぎり』、シングル『横須賀Baby』の同時発売でデビュー。デビューに際し「デビューしてすぐに一番になれるもの」として「バンド名を日本一長くする」というアイデアの元、正式名称「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL」を決めた、と翔が述べている[7]。実際、表記が長いことから「T.C.R.横浜銀蝿R.S.」、あるいは単に「横浜銀蝿」「銀蝿」と略して表記されることもある。

「銀蝿一家」として、弟分グループ「紅麗威甦」(ぐりいす-杉本哲太らが在籍)、嶋大輔矢吹薫麗灑、妹分アイドルの岩井小百合らがデビュー。

1983年7月23日、テレビドラマザ・サスペンス・川崎探偵団』に出演。

1983年12月31日 - 解散。

1998年1月1日 - 「横浜銀蝿」として翔、TAKU、嵐の3人で再結成。

2002年 - 7月23日に「横浜銀蝿」解散。同日に「湘南銀蝿」結成。以降、同年9月22日に解散するまで翔、TAKU、嵐の3人もそれぞれ「シャーク」、「サンセット」、「ヤシの実」と名乗り夏季限定の音楽活動を行う。解散後の翌日から「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL RETURNS」の名称で活動再開した。

2006年6月9日「結成25周年記念コンサート」を横浜BLIZで行い再々始動。2010年にデビュー30周年を迎えた。

2010年9月21日のデビュー30周年記念では当初「武道館ライブ」を公言していたが横浜銀蝿の聖地でもある横浜教育会館の2DAYSとなった。

オリジナルCDリリースが10年程止まっていて副業的な活動となっており。ライブも年10本程度にとどまっているが定期的に活動を続けている。

2019年9月、Johnnyも加わった4人で「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL 40th」として、2020年にオリジナルメンバー全員で1年間限定の活動を行うことを発表した。

2020年08月7日、40thとしての活動を1年間延長することを発表。[8][9]


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