横浜港
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横浜港
横浜港の全景
所在地
日本
所在地神奈川県横浜市
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度27分2秒 東経139度39分56秒 / 北緯35.45056度 東経139.66556度 / 35.45056; 139.66556座標: 北緯35度27分2秒 東経139度39分56秒 / 北緯35.45056度 東経139.66556度 / 35.45056; 139.66556
詳細
開港1859年7月1日安政6年6月2日
管理者横浜市
面積7,260.5ha
係留施設数90バース
統計
統計年度令和元年
発着数32,295隻
貨物取扱量110,623,229トン
コンテナ数299万TEU
貨物総額11,838,095百万
旅客数544,324人
売上高75兆8,800億円
利益1兆2,912億円
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横浜港(よこはまこう)は、神奈川県横浜市東京湾岸にある港湾である。港湾管理者横浜市港湾法上の正式名称は横浜港だが、港内の船舶交通を図る港則法では京浜港横浜区と称される[注釈 1]。その範囲は鶴見区沖合いより金沢区八景島の辺りまで7,260.5haに及ぶ[1]

東アジアの大規模港に対抗するため新たに設けられた国際戦略港湾・京浜港(ハブ港)の一翼を担い、国土交通省より「国際コンテナ戦略港湾」の指定も受けている。1859年7月1日安政6年6月2日開港[2]。いわゆる「安政の開国」による開港五港である。金港の美称を持つ。他に関税法施行令上の開港で国際貿易港(五大港)、日本三大貿易港などに含まれる。
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横浜港は1858年7月29日(安政5年6月19日)に締結された日米修好通商条約(安政五ヶ国条約)に基づき1859年7月1日(安政6年6月2日)に武蔵国久良岐郡横浜村(横浜市中区関内付近)に開港された。当初は生糸貿易の中心港として、後に京浜工業地帯の工業港、東京外港として大きく発展した。

当初は現在の神奈川県庁本庁舎付近(中区日本大通)にあった運上所(税関)の沿岸に東西2つの波止場が設けられて貿易が始まったが、大正期間にかけ新港埠頭などの港湾施設が整備されたことにより、神戸港兵庫県神戸市)とともに東西日本をそれぞれ代表する国際貿易港として日本の近代化を牽引した。

第二次世界大戦の際の空襲とその後の連合国軍駐留により大きな打撃を受けたものの、1950年制定の港湾法に基き、翌1951年には横浜市港湾管理者となり戦前の国営港湾から終戦直後の連合国軍接収時代を経て市営港湾化された。1950年(昭和25年)に制定された横浜国際港都建設法の下、国際港都・横浜の中心的施設として整備。現在では横浜市の東京湾沿岸ほぼ全域に広がり、10ヶ所の埠頭と249のバース(岸壁)を有する。外貿コンテナ取扱個数は東京港に次ぐ日本国内第2位であり、東日本を代表するコンテナポート。またクルーズ客船の発着港としても寄港数で2003年に初めて国内港湾第1位となって以来、2014年まで続いた(2015年は博多港長崎港に次ぐ第3位)。

入港船舶数は全国17位(28,995隻、2020年)、海上出入貨物量は全国2位(9362万トン、同)、貿易額は全国3位(1兆1021億円、同)。
歴史
神奈川湊日本海軍水路寮作成海図「武藏國横濱灣」の一部(明治7年(1874年)刊行)。神奈川湊沖は遠浅で、横浜港沖は水深が急速に深くなっている。

横浜港域における歴史は鎌倉幕府の国際玄関港として繁栄していた六浦湊(現在の横浜市金沢区)の存在にまで遡ることが出来るが、原型は神奈川湊(かながわみなと)の方にあると考えられている。神奈川湊は、武蔵国橘樹郡神奈川(現在の神奈川県横浜市神奈川区神奈川本町青木町付近)にあった。

神奈川湊は中世から東京湾内海交通の拠点の一つとされ、鎌倉幕府が置かれた13世紀以降、湾内の物流が活発になると共に神奈川湊も発展して行く。記録によれば室町時代1392年明徳3年/元中9年)の段階で、東京湾の主要積出港の一つとして機能していたことが明らかになっている。神奈川湊とその湊町は鎌倉時代には鶴岡八幡宮が支配し、室町時代には関東管領上杉氏の領地となった。その後、戦国時代には後北条氏の家臣である多米氏が支配。小田原征伐後、1590年天正18年)に徳川家康江戸に入府するとその支配下に入った。1601年慶長6年)、神奈川湊の湊町は神奈川宿として東海道宿場となり以後、江戸幕府の直轄地とされた。

江戸の発展に伴い全国各地からの物資輸送と江戸湾(東京湾)内海交通が活発となり、神奈川湊など湾内の各湊でも廻船業(廻船問屋)を営む者が現れた。
黒船来航と横浜開港

1853年嘉永6年)、アメリカ合衆国ペリー提督率いる艦隊(黒船)が浦賀沖に現れた(黒船来航)。


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