横浜海洋科学博物館
横浜マリンタワーの基部の3階にあった
(閉館後の2014年撮影)
財団法人横浜海洋科学博物館創立者串田可一(発案者)
田中省吾(設立発起人代表)
団体種類財団法人
設立1959年5月29日(登記完了)
所在地博物館所在地に同じ
主要人物細郷道一(1978年7月から解散時までの理事長)
活動地域横浜市
活動内容博物館の運営
収入48,923,824円
支出46,700,668円
従業員数5名(閉館時の博物館職員)
解散1988年9月30日
収入・支出欄は通年運営最終年度となる1987年度
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横浜海洋科学博物館(よこはまかいようかがくはくぶつかん)は、かつて神奈川県横浜市中区山下町に所在した海事博物館。1961年に横浜マリンタワー内にて開館し、約27年半の公開期間ののち、横浜みなとみらい21の横浜マリタイムミュージアム(2009年に横浜みなと博物館に改称)に役割を譲る形で、1988年9月30日に閉館した。 第二次世界大戦が終わってしばらく経った1950年代、横浜市への観光客は戻りつつあったが、市内の公園や戦災による焼け跡には占領軍のカマボコ兵舎が立ち並び、船と港しか見るものがない有様であった。山下公園も1959年6月まで在日米軍に接収されており、訪れる人々はポートサービスの通船か、1952年に接収が解除された大桟橋から港を見学したが、大桟橋の上屋には多くの見学者が集まり、しばしば港湾作業に支障をきたすこともあった。また、当時の日本には海運や船舶、港湾について学び、親しみを深める教育施設や文化施設は少なく[1]、神戸商船大学海事資料館(神戸市東灘区、1958年5月開館)北海道大学水産資料館(函館市、1958年7月開館)、東京水産大学資料館(東京都港区、1959年11月公開開始)の資料館がある程度であった[2]。1957年のシルクホテル発起人会の場で、港湾運送事業者で構成する横浜エゼント会の会長であった串田可一は、神奈川県知事の内山岩太郎と横浜市長の平沼亮三に海洋博物館の建設を提案した。即答は得られなかったが賛同者を得て、1958年の横浜港開港100周年を機に具体化されていく。山下公園から通りを1本隔てた山下町14・15番地の約1,100坪に、高さ100mあまりの展望塔と海洋博物館、無料休憩所からなる「海洋文化センター」を建設し、展望塔は民間企業、博物館は財団法人、休憩所は市が運営する計画が建てられた[1]。1958年9月9日、展望塔の運営母体となる横浜展望塔株式会社(以降、法人については横浜展望塔と記す)の創立発起人会が開かれ、10月に登記を完了した。博物館の開設準備も進められ、同年10月14日の関係者間の打ち合わせで、財団法人による独立採算制や展望塔との共通入館券の導入、博物館の性格を海洋科学博物館とするなど具体的な方針が定められた[3]。
歴史
開館の経緯