横浜海岸教会
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日本キリスト教会横浜海岸教会
Yokohama Kaigan Kyoukai/Church of Yokohama Kaigan団体種類
包括宗教法人
設立1872
所在地〒231-0021
神奈川県横浜市中区日本大通8番地
法人番号9020005000927
主要人物上山 修平 (牧師/小会議長)
活動地域 日本
活動内容キリスト教
親団体日本キリスト教会東京中会
所有者日本キリスト教会
ウェブサイトhttps://www.kaiganchurch.or.jp/
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創立時の日本基督公会(横浜海岸教会)と1922年の会堂。2020年現在の横浜海岸教会

日本基督公会(にほんキリストこうかい、英語:The Church of Christ in Japan)は、1872年3月10日(旧暦明治5年2月2日)に横浜公会(よこはまこうかい)として設立されたプロテスタント教会[1]。現在は、日本キリスト教会・横浜海岸教会。
公会条例第二条例「公会の基礎」

「我輩の公会は宗派に属せず[2]。ただ主イエス・キリストの名に依て建る所なれば、単に聖書を標準とし、是を信じ、是を勉むる者は、皆是キリストの僕(しもべ)、我等の兄弟なれば、各中の各員全世界の信者を同視して一家の親愛を尽くすべし。是故にこの会を日本基督公会と称す。」
歴史横浜海岸教会の創設者ジェームス・ハミルトン・バラ

1861年(文久元年)に来日した改革派宣教師ジェームス・ハミルトン・バラは、1868年(明治元年)、現在、横浜海岸教会のある居留地167番に小さな会堂を建てた。「聖なる犬小屋」と言われたこの会堂は、外側が斑入りの伊豆石の石造作りの小屋で、間口2間、奥行き4間ほどであったと言われている。1872年の創立時に使徒信条に基づいて公会定規を作成した。1873年(明治6年)には東京に姉妹教会(現、日本キリスト教団新栄教会)が設立された。1874年(明治7年)には日本基督公会となり、福音同盟会の9ヶ条を信仰箇条とした。ただし、もともと福音同盟会の9ヶ条は超教派での働きのための教理基準であり、教会の信仰箇条とすることを意図して作られたものではなかった。これを教会の信仰箇条としたことから、日本の長老教会の簡易信条主義が始まったといわれる[3]

1872年3月10日の教会形成時、日本人信徒は9名の青年と2人の中年男性からなる計11人であり、J・H・バラが仮牧師となった。この時の青年長老は押川方義他青年篠崎桂之助ら。中年男性の小川義綏長老仁村守三執事に任命された。バラが奨励し、長老按手式を行った。

日本基督公会の群れは横浜バンドといい、この流れは日本の長老派教会と教会合同に受け継がれた。日本基督公会の理念とされた合同は、日本基督教会において公会主義と呼ばれて理想化され、この実現が合同教会日本基督教団だとされた[4]。だが教会合同のエキュメニズムに反対する立場の渡辺信夫は公会主義の存在を否定している。また、日本基督公会は長老制を採用する改革派と長老派という、同質の教会であったことから、公会主義を強調するのは無理だとの指摘もある。[5]

日本基督公会は1877年10月3日に設立された日本基督一致教会に継承されたが、日本基督一致教会は簡易信条主義を採らず、歴史的なプロテスタントの信仰告白を持つ、信条教会であった。

1875年(明治8年)に教会堂が建設されて、横浜海岸教会と改称された。1923年(大正12年)の関東大震災で教会堂が消失する。1887年の日本キリスト教会横浜海岸教会15周年の記念撮影


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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