横浜市立横浜商業高等学校(よこはましりつ よこはましょうぎょうこうとうがっこう)は神奈川県横浜市南区にある公立高等学校。愛称はY校(ワイこう)。 校章および学生帽、野球部のユニフォームにあるYのマークからY校(ワイこう)という愛称で親しまれている[1]。 現存する神奈川県内の公立高校としては、最も古い歴史を持つ。1916年に作られた校歌は、作詞を森?外(名義は本名の森 林太郎)が手がけている[2]。 同窓会は進交会(しんこうかい)。同会は、Y校と横浜市立大学(市大)、および市大の前身である横浜市立横浜商業専門学校(Y専)の3校の卒業生を会員とする。ただし別科は独立した同窓会組織となっている。 なお、定時制は横浜市立港高等学校、横浜市立横浜工業高等学校と発展的に統合される形で横浜市立横浜総合高等学校(横浜工業高校の敷地内に新設)へ移行、2005年(平成17年)3月をもって閉鎖。 硬式野球部は1896年(明治29年)に創部された。創部のきっかけは、同年5月23日と6月5日に行われた、旧制一高(現在の東京大学)野球部とYC&ACとの対戦試合である。この試合で旧制一高野球部はそれぞれ29対4、32対9で大勝するが、Y校関係者はこの試合の応援に駆けつけ、勝利した一高野球部員と懇意になり、応援のお礼として一高側はボールとバットを贈り、それをきっかけとしてその後の野球部創立となった。創部時のコーチは一高投手の青井鉞男であった。 Y校野球部は創部以来、関東における戦前の中等学校野球 - 戦後の高校野球の牽引役となった。1923年(大正12年)夏、神奈川県の学校として初めて甲子園大会(第9回全国中等学校優勝野球大会。現在の全国高等学校野球選手権大会)に出場した[6]。以後、春(選抜高等学校野球大会)9回、夏7回、甲子園に出場している[6][7]。 横浜高校との試合は「YY決戦」「YY戦」と呼ばれ親しまれている[10]。横浜スタジアムでの試合時には、横浜商のスコアボードのチーム名表記は「Y」となる(Y校は公立、横浜高校は私立である)。また、TVKテレビの高校野球中継でのチーム名表記も、90年代後半まで一貫して「Y」であった。
概要
沿革[3]
1882年(明治15年) - 港の有力生糸商人・小野光景らにより横浜商法学校設立。
1888年(明治21年) - 横浜商業学校と改称。
1905年(明治38年) - 現在地に校舎が落成し、移転。
1917年(大正6年) - 横浜市立商業学校と改称。
1924年(大正13年) - 本科の上に2年制の専修科を置く。神中(神高)戦[4] が開始される。
1928年(昭和3年) - 専修科を母体に横浜市立横浜商業専門学校(通称Y専)を設置。
1948年(昭和23年) - 学制改革により横浜市立横浜商業高等学校となる。
1949年(昭和24年) - 横浜市立港高等学校を統合し、男女共学となる。商業科、普通科、家政科、別科として理容科が設置される。港高校の夜学部を横浜商業高校港分校とした[5]。
1950年(昭和25年) - 港分校は横浜市立港高等学校(定時制)として分離独立した(港高校の復活)。
1954年(昭和29年) -
4月1日- 普通科の募集を停止し、港高校全日制普通科が開校・継承する。
5月1日- 南区(当時)民の要望を受け、港高校全日制普通科が横浜市立南高等学校に改称される。
1963年(昭和38年) - 港高校に併設する形で、新たに全日制商業科としての港分校を設置。
1964年(昭和39年) - 港分校が分離独立し、横浜市立港商業高等学校として開校。
1982年(昭和57年)- 創立100周年記念式典挙行。
2003年(平成15年) - 国際学科を設置。
2005年(平成17年) - 定時制閉課。
2008年(平成20年) - Y校祭来場者数10,207人を記録。
2010年(平成22年) - 商業科YBCクラスを設置。
2014年(平成26年) - スポーツマネジメント科を設置。
部活動全国高等学校野球選手権神奈川県大会・校歌斉唱の様子(2007年7月21日)2007年全国高等学校野球選手権神奈川県大会 地区予選・柏木学園との3回戦勝利後の横浜スタジアム・スコアボード
硬式野球部
1983年(昭和58年)春の第55回選抜高等学校野球大会と、同年夏の第65回全国高等学校野球選手権大会で春夏連続の準優勝を果たした。神奈川県公立高校の春夏の準優勝以上の戦績はこれ以降、2022年(令和4年)現在までない[8][9]。