横浜市立日吉台中学校
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横浜市立日吉台中学校

.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度32分51.348秒 東経139度38分12.848秒 / 北緯35.54759667度 東経139.63690222度 / 35.54759667; 139.63690222座標: 北緯35度32分51.348秒 東経139度38分12.848秒 / 北緯35.54759667度 東経139.63690222度 / 35.54759667; 139.63690222
国公私立の別公立学校
設立年月日1947年4月1日
共学・別学男女共学
学校コードC114210020892
所在地223-0062
神奈川県横浜市港北区日吉本町四丁目9番1号
外部リンク ⇒公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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横浜市立日吉台中学校(よこはましりつひよしだいちゅうがっこう)は、神奈川県横浜市港北区日吉本町に所在する公立中学校。一般には台中(だいちゅう)と呼ばれている。
概要
概要

日吉本町の住宅街に位置する横浜市立中学校である。同じ港北区内にある横浜市立新田中学校横浜市立城郷中学校と同じ1947年(昭和22年)に設立され、1977年(昭和52年)には当校から横浜市立日吉台西中学校が分離独立した。

似た名前の中学校として川崎市立日吉中学校が存在するが、同中学校の所在地は川崎市幸区北加瀬である。これは校名の由来となった日吉村が横浜市から川崎市にまたがっていたことに由来している。開校は日吉台中学校の方が古い(日吉中学校は1950年開校)。

横浜市立中学校の中で1,2位を争う生徒数であり、令和3年現在で1,000人以上の生徒が在籍している。2020年4月には学区内に横浜市立箕輪小学校が開校し、今後も生徒数の増加が見込まれている。
生徒数

令和3年4月1日現在[1]

学年学級数生徒数
1年9331
2年10372
3年9338
特別支援429
合計321,070

施設

かつては横浜市立金沢中学校と並んで横浜市で敷地面積が最も広い中学校だったが、1961年(昭和36年)に敷地の約半分(約5万8000平方メートル)を大塚製靴へ譲渡したため、1位ではなくなった。

2017年(平成29年)に大塚製靴の日吉工場は閉鎖・解体され[2]、跡地にはマンションが建設された。1961年に売却された土地には、現在3棟のマンションが建っている。
歴史
沿革

1947年(昭和22年)- 横浜市立日吉台小学校の4教室を借用して開校

1949年(昭和24年)- 校歌制定(市の教師であった北村侃が作詞、市の職員であった松井健祐が作曲)

1950年(昭和25年)- 校舎(木造2階建て)が落成し日吉本町に移転

1963年(昭和26年)- プール竣工

1964年(昭和39年)- 鉄筋4階建て校舎(2号棟)落成

1966年(昭和41年)- 屋内体育館落成

1970年(昭和45年)- 2号棟増築

1972年(昭和47年)- 2号棟増築、鉄筋4階建て校舎(1号棟)落成

1973年(昭和48年)- 1号棟増築

1975年(昭和50年)- 1号棟増築

1977年(昭和52年)- 横浜市立日吉台西中学校開校(日吉台中学校敷地内)

1980年(昭和55年)- 鉄筋2階建て校舎(3号棟)落成

1984年(昭和59年)- 格技場完成

1986年(昭和61年)- 鉄筋2階建て校舎(1号棟特学教室)落成、校庭夜間照明完成(平成3年に1機増設)

1989年(平成1年)- プール改築、視聴覚室設置改修工事完了

1993年(平成5年)- コミュニティスクール開設、体育館完成

1994年(平成6年)- コンピューター教室設置改修工事完了

2004年(平成16年)- 防犯カメラ設置工事完了、焼窯庫完成

2012年(平成24年)- 耐震補強工事完了

2013年(平成25年)- 耐震補強工事完了、普通教室へのエアコン設置工事完了

2015年(平成27年)- 体育館内壁張替工事完了、バリアフリー工事完了

2016年(平成28年)- 照明改修工事完了、ハマ弁開始

2018年(平成30年)- エレベーター設置工事完了

2022年(令和4年)-プレハブ校舎落成

歴代校長

代数氏名着任
初代秋山義一1947(S22).4.1
二代池上秀雄1948(S23).5.15
三代山本伊津雄1956(S31).9.1
四代吉川雅智1965(S40).9.2
五代志村正之1968(S43).9.2
六代岩崎林作1970(S45).9.1
七代奥村二郎1972(S47).9.1
八代服部二男1975(S50).9.1
九代飯田宣男1979(S54).9.1
十代相沢広之1983(S58).4.1
十一代土田昭之1988(S63)4.1
十二代小林達雄1990(H2).4.1
十三代丸茂高1993(H5).4.1
十四代千村保1996(H8).4.1
十五代井上光夫1999(H11).4.1
十六代金井豊2004(H16).4.1
十七代山田裕師2007(H19).4.1
十八代中西健一2011(H23).4.1
十九代高橋秀吉2013(H25).4.1
二十代諏訪部真史2019(H31).4.1
二十一代続橋正寿2021(R3).4.1

学校の教育目標(校訓)

「共に生きる」

自ら学び続ける生徒(知)

自ら考え、判断し、行動する生徒(徳)

自他の人権を尊重する生徒(公)

健康で、たくましく生きる生徒(体)

社会の一員としての責任を果たす生徒(開)

校歌・校章
校歌

作詞:北村侃 
作曲:松井健祐

一、富士ケ嶺の偉容(いよう)仰ぎて 日吉野の男の子(おのこ)ぞわれら
花かおる校庭(にわ)に集いて 鍛えなん鉄の腕(かいな)に
名を聞けば人みな慕(しと)う 日吉台中永久に栄(は)えあれ

二、めぐらせる矢上の堤 若草の乙女ぞわれら
澄める水心に秘めて 磨かなん命のかぎり
名を呼べば人みな応(こと)う 日吉台中永久に栄えあれ

三、謳われし学びの都 はぐくまる誇に生きん
真理(まこと)もて勤労(つとめ)励みて 奏でなん平和の韻(ひびき)
名を問えば人みな称(たと)う 日吉台中永久に栄えあれ
校章

西欧文化の母、ギリシアの象徴たるパルテノン神殿をプランとし、その中央に「日吉」の文字を配している。当時の美術科担当教員によってデザインされた[3]
部活動

横浜市内で2番目に広いと言われる校地を持ち、グラウンドにはテニスコート、野球場、サッカーコートを一度に配置することができる。そのため部活動が盛んで、野球部が横浜市大会出場、テニス部は神奈川県大会出場するなど、多くの部活動で好成績を収めている[4]
運動部

野球部

サッカー部

バスケットボール部

ソフトテニス部

バレーボール部

バドミントン部

陸上競技部

水泳部

柔道部

剣道部

文化部

吹奏楽部

コンピュータ部

美術部

イラスト部

園芸部

演劇部

合唱部

茶道部

[5]
行事

職場体験
2年次に生徒数名で地域の企業や店舗、小学校などに出向き、体験や作業などを行う。

体育祭

合唱コンクール
生徒数が多く保護者を含めると体育館で行えないため、毎年
横浜みなとみらいホールで開催される[6]

球技大会

文化祭

修学旅行(京都奈良)

健民祭
近隣の小中学校の校庭や体育館で、ソフトボールやバレーボールなどのスポーツを生徒と地域の人が一緒に楽しむ。

[7]
通学区域

横浜市立日吉台小学校

横浜市立日吉南小学校

横浜市立矢上小学校

横浜市立北綱島小学校(一部地域は横浜市立新田中学校

横浜市立綱島東小学校(大半の地域は横浜市立樽町中学校

横浜市立箕輪小学校

主な進学先

進学先公立高等学校として、旧横浜東部学区に属する高校および東急東横線、横浜市営地下鉄沿線の高校が想定される。


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