横浜国際女子駅伝
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スタートの様子(2009年)

横浜国際女子駅伝(よこはまこくさいじょしえきでん)は、1983年から2009年まで、日本で毎年2月の第4日曜日に行われていた女子の駅伝大会。港町神奈川県横浜市を舞台にレースを展開した。
概要

「世界およびわが国の女子長距離・マラソン選手育成と国際親善を目的とする」[1]駅伝大会。各国代表チームに、日本ナショナルチーム、日本の地域選抜7チーム、後述する混成チーム(1997年の第15回まで)が挑戦した。1983年に第1回が行われ、優勝はソ連(当時)だった。

地域選抜は地元「神奈川」チームのほか、「北海道・東北」、「関東・東京」、「東海・北陸」、「近畿」、「中国・四国」、「九州」である。地域選抜の好走例も少なくなく、九州選抜が1998年の第16回で2位、1999年の第17回で3位に入ったほか、1992年の第10回では日本ナショナルチーム(6位)を上回る5位入賞を果たしている。他の地区も「神奈川」を含め全てが、1桁台の順位を記録したことがある。

各国の補欠選手(実績がありながら、調整不足などで代表メンバーを外れた選手など)を集めた混成チーム(サクラ・カモメ・フジ・ツバメ)も作られ、参加させていたこともあった。1989年の第7回では、混成カモメが第9位と健闘した例もある。

通常は、開催日の12時10分に号砲する大会だが、諸事情により開催日・スタート時間が変更されたことがあった。

1983年の第1回は、3月20日正午(12時00分)に号砲した。

1989年の第7回は、テレビ中継をしている日本テレビが14時00分に東京ドームからのボクシング中継を行ったことと、昭和天皇大喪の礼直後によるコース等の警備上の関係で、11時10分に号砲した。

1998年の第16回は、長野オリンピック開催の関係で2月1日14時10分に号砲した。

2009年11月から横浜市で新たに「横浜国際女子マラソン」が開催されること(事実上東京国際女子マラソンを継承する形)になり、同年2月をもって大会が終了した[2]。開始当初は10カ国前後の各国代表が出場していたが、2000年代に入ると5カ国前後にとどまり、最後となった2009年2月も6カ国の出場にとどまっていた(参加国数の減少は、国際千葉駅伝でも同じことが言える)。
コースとその区間の特徴

 末期のコースは以下の通り。
横浜赤レンガ倉庫発着→横浜・八景島シーパラダイス折り返し(6区間/42.195km)
 大会開設当初は下記にもあるが、横浜スタジアム発着、折り返し点は横浜市金沢区の横浜市立大学医学部病院前だった。

このコースになったのは2003年からで、2002年まではスタート・ゴール地点を横浜スタジアムにして同スタジアムを特設陸上競技場にしていた。コースは変更前も変更後も、国際陸上競技連盟(IAAF)に公認されていない。

富岡トンネル、富岡総合公園経由になったのは1996年からで、1995年以前は杉田交差点を曲がり湾岸道路へと向かっていた。

1区(5.0km) 赤レンガ倉庫⇒本牧原

横浜赤レンガ倉庫(スタート)→(山下公園通り)→第1中継所(本牧原)

スタートして600mほど赤レンガ倉庫の石畳の上を走る。転倒に要注意するところである。本牧原までは高低差はほとんどないコース最短区間だが、横浜ランドマークタワーなどみなとみらい地区超高層ビル群から吹き付ける風が走る選手たちを襲う。

2区(10.0km) 本牧原⇒富岡

第1中継所→(磯子)→(富岡トンネル)→第2中継所(富岡総合公園)

メダリストランナーが集うエース区間・2区。中継所をでてからゆるいアップダウンがあるほか、富岡トンネル付近のきつい上り坂が選手を苦しめる。このトンネルを抜ければ、3区を走る選手たちが待っている。

3区(6.0km) 富岡⇒八景島

第2中継所→(幸浦)→第3中継所(横浜・八景島シーパラダイス前)

シーサイドライン沿いに走る3区は、風を遮る建物もあまり無い為に例年最も横風・向かい風更に追い風がきつい区間になる。さらに、横浜・八景島シーパラダイス前のアップダウンは短いながらもコース中一番激しい。

4区(6.0km) 八景島⇒富岡

第3中継所→(幸浦)→第4中継所(富岡総合公園)

スタートし直ぐに折り返すこの4区。前の第3区の裏返し区間で横浜市内へ向かうので海からの追い風が選手達を後押しする。

なお、例年折り返し地点では、横浜・八景島シーパラダイスの
ペンギンたちが選手たちを迎える。

5区(10.0km) 富岡⇒本牧宮原

第4中継所→(磯子)→(八幡橋)→第5中継所(本牧宮原)

2区の裏返し区間となる後半のエース区間。トンネル付近のアップダウンを抜けて、海沿いのほぼフラットなコースでメダリストたちの順位争いが見られる。

6区(5.195km) 本牧宮原⇒赤レンガ倉庫

第5中継所→(山下公園通り)→(みなとみらい)→横浜赤レンガ倉庫(ゴール)

トラック5000mの一流ランナーがトップ奪取へ向け最後の追い込みをかけるこの区間。3.8km地点でいったん赤レンガ倉庫の前を通ってからゴールへと飛び込む。最後の横浜赤レンガ倉庫の急コーナー共々、1区と比べてもきついコーナーリングがポイントとなる。

歴代優勝チーム

回開催日優勝チーム備考
1
1983年3月20日 ソビエト連邦
21984年2月26日 イギリス
31985年2月24日 ソビエト連邦
41986年2月23日 ノルウェー
51987年2月22日 ポルトガル
61988年2月28日 ソビエト連邦
71989年2月26日 中国
81990年2月25日 日本日本が8回目にして初優勝を果たした。
91991年2月24日 中国
101992年2月23日 独立国家共同体前年末に ソビエト連邦が崩壊。暫定措置として旧ソ連は「CISチーム」として参加した。翌年以降は国別の参加に変わった。
日本が九州選抜に敗れる波乱があった(九州が5位、日本が6位)。
111993年2月28日 日本
121994年2月27日 ロシア
131995年2月26日 日本
141996年2月25日 日本
151997年2月23日 日本混成チームはこの年を最後に廃止となった。
161998年2月1日 日本
171999年2月28日 日本日本が5連覇を達成。
182000年2月27日 ケニアケニア、アフリカ勢で初制覇。日本の6連覇を阻む。
192001年2月25日 ロシア
202002年2月24日 日本20回目を記念して「メダリストチーム」を編成。夏季オリンピック・世界選手権の各大会でメダルを獲得したメンバーが集結した。この回で横浜スタジアムでのスタート・ゴールが最後。
212003年2月23日 ロシアこの回から横浜赤レンガ倉庫をスタート・ゴールに一部のコースが変更となる。ロシアが区間賞なしで優勝。
222004年2月22日 エチオピア
232005年2月27日 日本2時間13分40秒の大会新記録をマーク。
242006年2月26日 ロシア小林祐梨子新谷仁美の2人のスーパー高校生が世界に挑んだ。
252007年2月25日 ロシア海外招待チームの連覇は大会開始以後初めて。またこの年から大会ロゴを変更。
262008年2月24日 エチオピア
272009年2月22日 日本横浜国際女子駅伝FINAL(=最終回大会)として開催。日本が最多の優勝通算10回で幕を閉じた。

ゼッケンスポンサー

レナウン(1983・1984年

アマダ1985?1992年)

カゴメ1993?1997年、その後は30秒スポンサーになる)

セブン-イレブン1998?2002年)

キョーリン製薬(2003年)

明治乳業2004年 オフィシャルドリンク「ヴァーム」提供も兼務。「ヴァーム」の提供は翌年以降も継続)

日産自動車2005?2009年 オフィシャルカー提供も兼務)

オフィシャルサプライヤー

シチズン(2003?2006年 公式計時を提供)

トヨタ自動車(1998?2003年 オフィシャルカーを提供)

日産自動車(1983?1992年 オフィシャルカーを提供)

SUZUKI1994?1997年 オフィシャルカー提供)

フォルクスワーゲングループジャパン(1993年 オフィシャルカー提供)

FUJI XEROX(現:富士フイルムビジネスイノベーション

SEIKO(1983?2002・2007?2009年 公式計時を提供)

コカ・コーラ(1998?2000年 オフィシャルドリンクを提供)

アサヒビールソフトドリンク部門分社前・オフィシャルドリンクを提供)

ダイハツ工業(2003・2004年 番組提供)

テレビ中継

テレビ中継は東京の日本テレビ放送網をキーステーションに全国30局(NNS加盟29局とフジテレビ系列局である沖縄テレビ放送)を結んで、東京の本社ではなくコース沿いにある横浜プリンスホテルに放送センターを設けて放送していた。しかし横浜プリンスホテルは西武グループの再建の過程で2006年6月末に閉鎖・売却され使用できなくなったため、2007年から2009年まではパシフィコ横浜に放送センターが設けられていた。2002年(第20回)まではテレビ宮崎でも放送していた。また、鹿児島読売テレビが開局するまでは鹿児島テレビで放送された。

放送時間は12:00?14:40で、11:45?12:00には一部ネット局を除いて直前番組も放送した。


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