横浜ドリームランド
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横浜ドリームランド
Yokohama Dream Land
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情報
用途遊園地
ホテルなど
事業主体日本ドリーム観光
管理運営日本ドリーム観光
敷地面積(開園時)約1,320,000 m2
(閉園時)145,776 m2
開館開所1964年(昭和39年)8月1日
所在地245-0066
神奈川県横浜市戸塚区俣野町700番地
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度23分12.3秒 東経139度29分32.8秒 / 北緯35.386750度 東経139.492444度 / 35.386750; 139.492444 (横浜ドリームランド)座標: 北緯35度23分12.3秒 東経139度29分32.8秒 / 北緯35.386750度 東経139.492444度 / 35.386750; 139.492444 (横浜ドリームランド)
備考2002年(平成14年)2月17日閉園。
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横浜ドリームランド(よこはまドリームランド)は、かつて神奈川県横浜市戸塚区俣野町字沖原700番地で営業していた遊園地

姉妹園的存在として、先行して開園した奈良ドリームランドがあった。日本ドリーム観光がダイエーに吸収合併された後は、ダイエーの子会社であるドリームパークによって運営されていた。
概要横浜ドリームランドとその周辺(1995年)
営業内容

営業時間:10:00-17:00(3-11月)、10:00-16:30(1・2・12月)

入園料: 大人800円、小人400円

マスコットキャラクター:ドリちゃん、ランちゃん

キャンペーンガール

1980年代には毎年、若手アイドル歌手キャンペーンガールとして起用したが、アイドル歌手の登竜門といわれた大磯ロングビーチのキャンペーンガールに対し、同じ神奈川県下でも横浜ドリームランドのキャンペーンガールは翌年には名を消すような地味なタレントばかりであった。
歴史
開園

奈良ドリームランドの姉妹園としてオープンした。

「昭和の興行師」と呼ばれた松尾國三率いる日本ドリーム観光が、毎日新聞社の後援のもとに総工費約200億円を投じて建設。松尾は「観光立国」を標榜し、かねて東京近郊において一大娯楽施設を開設することを目論んでいた。開園当初の横浜ドリームランドは、「日本のディズニーランドを目指す」という松尾の構想に基づき、横浜郊外の小高い丘陵丸々一つを開発した約132万平方メートルの広大な敷地に、遊園地やボウリング場、スケート場、ショッピングモール、映画館を備えた、当時の日本国内でも屈指のレジャー施設であった。開業翌年の1965年(昭和40年)には、敷地内に当時の国内で随一の高層建築物であった「ホテルエンパイア」も完成した。
アクセス問題と経営悪化詳細は「ドリーム開発ドリームランド線」を参照駅に放置されていた車両(1984年6月14日(木曜日))撮影

開業から2年後の1966年(昭和41年)5月2日には、それまで路線バスまたは自家用車に限られていたドリームランドへのアクセスの目玉として、当園と国鉄(当時)大船駅とを結ぶドリームランドモノレールが開通。路線バスでは15分であった大船 - ドリームランド間の所要時間を、約半分の8分に短縮するという触れ込みであった。

しかし、ドリームランドモノレールは設計上の欠陥により、わずか1年半弱後の1967年(昭和42年)9月24日に運行休止に追い込まれる。その代替として神奈川中央交通のバス便を平日70往復、休日300往復させる措置が取られたが、ドリームランドへのアクセスは再びバスか自家用車に限定されることになった。しかし、開園当初はのどかな田園地帯であった戸塚周辺は、高度経済成長によって急激にベッドタウン化が進むとともに道路交通量も著しい増加をみせており、特にバス・自家用車ともにドリームランドへの通過点となる国道1号原宿交差点は、神奈川県内でもトップクラスの渋滞箇所に発展していた。このため、バスの場合では空いていれば大船駅から15分ないし20分程度で済む乗車時間も1時間以上要することがしばしばであった。また、東京都内や横浜市街から自家用車で来場するケースにおいても、週末などは鎌倉湘南方面へドライブする車と競合し、原宿交差点を先頭に横浜新道内まで5 km以上も続く渋滞が頻発した。いずれの場合においても、来場者はレジャーを楽しむ前に少なからぬ時間のロスと疲労を強いられることになった。

このような交通アクセスの悪さは、開園当初から閉園に至るまでドリームランドの経営を圧迫する致命的な欠点となり、1970年(昭和45年)には早くも収支悪化によって敷地東側の部分売却(全敷地の約4分の1)を余儀なくされる。以後も段階的に敷地売却が行われ、売却された土地には、神奈川県住宅供給公社横浜市住宅供給公社によって「ドリームハイツ」という名の高層団地が建設されている。

さらに、日本ドリーム観光本体の経営も1972年(昭和47年)5月13日に発生した千日デパート火災の補償問題などにより、急速に悪化していった。
ダイエー傘下入りと衰退詳細は「日本ドリーム観光」を参照1990年頃の園周辺
左後方にホテルエンパイアを望む

1970年代から1980年代初頭にかけては、京浜地区で競合する施設が少なかったことなどから苦戦のうちにも年間160万人の来場者を数えたが、1983年(昭和58年)の東京ディズニーランド開園などを契機として来場者数は不可逆的な下降をたどる。ほぼ同時期の1984年に創業者である松尾國三が死去し、松尾の遺族と日本ドリーム観光経営陣との間で泥沼の経営権争いが発生した。最終的に経営権は遺族の手に移るが、後に日本ドリーム観光は遺族を支援した中内?によって1988年(昭和63年)にダイエーに吸収され、横浜ドリームランドはダイエーの子会社であるドリームパークによって運営されることとなった。

ダイエーは当時絶頂期を迎えていたバブル景気の波に乗り、プロ野球球団・南海ホークスの買収など積極的な事業拡大を進めていた。そのため横浜ドリームランドにも再興の期待が膨らんだが、間もなく訪れたバブル崩壊によってそれらの期待も水泡に帰した。その後も横浜・八景島シーパラダイスよこはまコスモワールドなどの競合施設の出現に加え、少子化やレジャーの多様化も要因となって入場者の減少に歯止めがかからなくなり、年間入場者数は最盛期の約半分程度まで落ち込んだ。


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