横山道代
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よこやま みちの
横山 通乃
本名横山 道代(よこやま みちよ)
別名義横山 道代(旧芸名)
生年月日 (1936-04-16)
1936年4月16日(88歳)
出生地 日本東京府
身長160 cm[1]
血液型A型[1]
職業女優
ジャンル映画・テレビドラマ・舞台
活動期間1954年 -
配偶者中山昭二1961年 - ?)
主な作品
テレビドラマ
若い季節
男嫌い
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横山 通乃(よこやま みちの、1936年昭和11年〉4月16日[2][3] - )は、日本女優。本名及び旧芸名、横山 道代(よこやま みちよ)[1]東京府出身[1]中山昭二は元夫。東京都立桜町高等学校卒業[1][2]
略歴・人物

高校卒業後、小牧バレエ団、石井みどり舞踏団を経て[2][3]、1954年[2][3]東京放送劇団に第5期生として入団[4]。同年に『ヤン坊ニン坊トン坊』でデビュー[1]

里見京子黒柳徹子と「三人娘」と呼ばれて人気を得る。

1958年に劇団を退団し東宝に入社[2][3] 。同年に『奴が殺人者だ』で映画デビュー[3]。その後は芸映に所属[5]

映画では市川崑伊丹十三作品に複数回起用されていた。

21世紀を目前に、「まだまだ道の途中」の意を込めて本名の横山道代から横山通乃へと改名[6]

私生活では1961年に俳優の中山昭二と結婚するが、のちに離婚(一子あり)。女優と子育ての両立への奮闘を題材にしたエッセイ『「我が家の子育て」論』が1990年9月10日『読売新聞』に掲載されるとともに反響を呼び、以降講演活動も行っている。

趣味はピアノ太極拳[1]
出演
映画

奴が殺人者だ(1958年)

次郎長意外伝 灰神楽木曽の火祭(1958年)

密告者は誰か(1958年)

裸の大将(1958年)

みみずく説法(1958年)

独立愚連隊(1959年)

花嫁さんは世界一(1959年)

愛の鐘(1959年)

野獣死すべし(1959年)

僕らの母さん(1959年)

新・三等重役(1959年)

頑張れゴキゲン娘(1959年)

こだまは呼んでいる(1959年)

愛妻記(1959年)

ある日わたしは(1959年)

暗黒街の顔役(1959年)

おしゃべり奥様(1959年)

男性飼育法((1959年)

若旦那大いに頑張る(1959年)

サザエさんの結婚(1959年)

孫悟空(1959年)

女子大学生 私は勝負する(1959年)

独立愚連隊西へ(1960年)

サラリーマンご意見帖 男の一大事(1960年)

大学の山賊たち(1960年)

人も歩けば(1960年)

姉さん女房(1960年)

新・女大学(1960年)

珍品堂主人(1960年)

サラリーガール読本 むだ口かげ口へらず口(1960年)

山のかなたに(1960年)

サラリーマン御意見帖 出世無用(1960年)

「赤坂の姉妹」より 夜の肌(1960年)

ああ女難(1960年)

夜の流れ(1960年)

女が階段を上る時(1960年)

特急にっぽん(1961年)

ベビーギャングとお姐ちゃん(1961年)


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