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横山 英太郎(よこやま えいたろう、1883年(明治16年)7月 - 1966年(昭和41年)6月13日)は、日本の工学者(専攻は電気工学、電気通信)。 福井県三国町(現坂井市)生まれ。福井県立福井中学校、第一高等学校を経て、東京帝国大学を卒業。逓信省電気試験所に入所し、鳥潟右一・北村政治郎と世界初の無線電話機を発明した。 1914年(大正3年)12月16日から1916年(大正5年)4月10日まで、鳥羽・神島・答志島間で無線電話の実用試験を行い成功、無線電話の実用化としては世界初の偉業であった。この世界初の実用無線電話の名は開発した3人の頭文字(T:鳥潟 Torigata Y:横山 Yokoyama K:北村 Kitamura)からTYK式
経歴
日本無線取締役、国際電気通信常務・同研究所長を経て、1942年(昭和17年)、電波物理研究所長に就任。1916年(大正5年)、学士院賞受賞。1966年(昭和41年)6月13日に82歳で死去。 妻・千恵は、平岡なつ(三島由紀夫の祖母)の妹である。娘は伊部恭之助の妻。
栄典
1924年(大正13年)12月15日 - 正五位[1]。
家族
脚注[脚注の使い方]^ 『官報』第3707号「叙任及辞令」1924年12月29日。
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