よこやま よしきよ横山由清
生誕文政9年5月(1826年)
江戸
死没明治12年(1879年)12月2日(53歳)
東京
職業国学者・法制史家・歌人
テンプレートを表示
横山 由清(よこやま よしきよ、文政9年5月[1](1826年) - 明治12年(1879年)12月2日[2])は、江戸時代・明治時代の国学者・歌人である。本姓は小野[3][4]。従六位。通称は保三、号は月舎[2]。 塚越敬明
目次
1 人物
1.1 略歴
2 著書
2.1 法制史・国学
2.2 和歌
3 脚注
4 参考文献
人物
略歴
始め和学講談所教授となる[2]が、明治2年(1869年)昌平学校史料編修に任ぜられる[2]。また宇都宮義綱・瀬脇為好とともに[3]大学中助教となる。また制度局御用掛語箋編輯として法律制度の整備に携わる[2]。
明治3年9月18日(1870年10月12日)少史に任じられ従七位に[1]、明治4年7月29日(1871年9月13日)左院に転じ権少史となり、同年12月12日(1872年1月21日)正七位となる[1][3]。明治5年10月8日(1872年11月8日)左院五等議官に就任[1]。
明治7年(1874年)10月10日には左院四等議官となり、明治8年(1875年)2月24日、従六位に進む[1]。同年4月に元老院と改組されると、同年5月24日、少書記官となり[1]、このころ黒川真頼らと『旧典類纂』田制篇などの書物の編著をしている[2]。
明治10年(1877年)1月19日、元老院を依願免本官となるが、同年3月1日、元老院御用掛、同年8月20日、文部省兼勤、同年10月25日には元老院権少書記官に任じられた[1][3]。晩年は東京大学で古代法制史を講じた[2]。
明治12年(1879年)12月2日病死。墓は東京の谷中天王寺にある[2]。
著書
法制史・国学
『皇位継承篇』
『編輯御系図』
『尚古図録』
『田制篇』
『日本田制篇』
和歌
『月舎集』歌集
『歌林雑考』歌学書
脚注^ a b c d e f g 『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 上巻』234-236頁。
^ a b c d e f g h i j 鈴木淳.『日本近世人名辞典』1103頁。
^ a b c d 『明治過去帳』新訂初版、136頁。
^ 『江戸文人辞典』406頁。
参考文献
大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。
我部政男・広瀬順晧編『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 上巻』柏書房、1995年。
石川洋他編『江戸文人辞典 : 国学者・漢学者・洋学者』東京堂出版、1996年。
竹内誠・深井雅海編『日本近世人名辞典』吉川弘文館、2005年。
典拠管理
WorldCat Identities
ISNI: ⇒0000 0000 8197 8887
LCCN: ⇒n85357379
NDL: 00272627
VIAF: 11308038
更新日時:2019年2月27日(水)00:12
取得日時:2019/08/10 08:57