NHKアナウンサーの「横山哲也」とは別人です。
横山 徹也楽天時代(2015年)
基本情報
国籍 日本
出身地京都府舞鶴市
生年月日 (1984-06-26) 1984年6月26日(39歳)
身長
体重176 cm
83 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション捕手
プロ入り2002年 ドラフト6巡目
初出場NPB / 2008年8月19日
最終出場NPB / 2012年9月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
福知山成美高等学校
大阪近鉄バファローズ (2003 - 2004)
オリックス・バファローズ (2005 - 2013)
愛媛マンダリンパイレーツ (2014)
東北楽天ゴールデンイーグルス (2015)
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横山 徹也(よこやま てつや、1984年6月26日 - )は、京都府舞鶴市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。
ニックネームは「ゴンゾウ」「ポコヤマン」。
現役引退後の2015年6月19日からシーズン終了まで育成選手として現役に復帰していた(詳細後述)。 福知山成美高等学校から2002年のドラフト6巡目で大阪近鉄バファローズへ入団した。同級生にヤクルト5巡目指名の大原秉秀がいる。 近鉄入団後は二軍生活に終始。一軍公式戦への出場経験がないまま、オリックス・ブルーウェーブとの合併に伴う2004年末の分配ドラフトでオリックス・バファローズへ移籍した。 移籍1年目の2005年に、ウエスタン・リーグの公式戦で.326と高い打率をマーク。2008年8月19日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦8回表の守備から、捕手として一軍デビューを果たした。 2009年には、シーズン初の一軍昇格になった5月1日の対楽天戦で、7回表に一軍初安打を記録した。一時は二軍に戻ったが、9月17日の対福岡ソフトバンクホークス戦でプロ入り初のスタメンマスクを経験した。9月27日の対千葉ロッテマリーンズ戦では、一軍初打点を含む3安打で、自身初の猛打賞を記録した。打席数こそ少なかったものの、通算打率が.421に達するなど、シーズン終盤を中心に打撃面でアピールを続けた。 2011年には、ウエスタン・リーグ公式戦で捕手としてチーム最多出場を果たした。打撃でも打率.267を記録したが、一軍での出場機会には恵まれず、一軍では3年振りの無安打に終わった。 2012年には、8月21日に、同じ捕手の日高剛と共にシーズン初の一軍昇格した。前日の試合で投手陣の大量失点を招いた伊藤光・斉藤俊雄両捕手に代わっての昇格だったことから、昇格当日の対北海道日本ハムファイターズ戦で早速スタメンマスクをかぶったが、5回裏に球団ワーストタイの1イニング11失点を喫した。その後も3試合でスタメンマスクを任されるものの、スタメン出場の4試合で投手陣が合計で35失点を喫した。打撃では一軍で2年振りの安打・打点を記録したが、上記のようにリード面で課題を露呈したことから、監督の岡田彰布は9月以降の公式戦では日高をスタメンに起用した。森脇浩司が監督代行に就任したシーズン終盤には、一軍へ復帰した伊藤が主にスタメンマスクを任されていた。 2013年には、一軍昇格の機会がないまま、10月26日に戦力外を通告された[1]。しかし、現役続行への意向が強いことから、通告後には2度にわたって12球団合同トライアウトへ参加した。 2013年12月16日に、独立リーグ・四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツが横山の獲得を発表した[2]。 2014年にはリーグ戦43試合に出場。打率.188、打点10、本塁打1という成績を残した[3]が、シーズン終了後に契約期間を満了したことから退団(自由契約)[4]。
経歴
プロ入り前
近鉄時代
オリックス時代オリックス時代(2008年)
独立リーグ時代
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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