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メンバー横山アキラ
横山マコト
横山セツオ
事務所松竹芸能→ケーエープロダクション
吉本興業(業務提携、2011年より)
活動時期1936年 - (横山ホットブラザーズとしては1952年 - )2020年
出会い実兄弟
旧グループ名横山トーロクショウ
横山トニー一党
横山ファミリーショウ
現在の活動状況テレビ・ラジオなど
芸種音曲漫才、ボーイズ
受賞歴
1971年 第6回上方漫才大賞奨励賞
1985年 第9回日本パロディ展優秀賞
1991年 第20回上方お笑い大賞審査員特別賞
1994年 第29回上方漫才大賞審査員特別賞
1996年 平成8年度第51回文化庁芸術祭大賞
2003年 第38回上方漫才大賞
2009年 上方演芸の殿堂入り
2017年 大阪市における無形文化財指定
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横山ホットブラザーズ(よこやまホットブラザーズ)は、ケーエープロダクション所属(2011年より吉本興業と業務提携)の日本の音楽ショウグループ。元松竹芸能所属。「しゃべくり漫才」→「シチュエーションコント」が主流を占める中で、楽器を用いた音曲漫才・ボーイズ物の伝統を守った、数少ないグループの一つ。
結成は戦前に遡り、戦後は戎橋松竹、トップホットシアター、道頓堀角座等をホームグラウンドに、キャバレー廻り等もした。定席やテレビ・ラジオ出演の他に、営業も数多くこなした。 横山姓は本名で、横山エンタツ、横山ノックら漫才師の「横山」一門とは関係が無い。 家父・創始者の横山東六には7 - 8人の子があったが、長男と長女は幼くして病死している。他の子は殆どがメンバーに在籍した。
メンバー
メンバー
横山 アキラ(本名:横山 彰、1932年8月7日 - 2020年12月9日)
長男、大阪府出身。ミュージックソー・ギター担当。昨今ギターはほとんど叩いて音頭を取ったりする位で、きちんと弾くことは滅多にないが、 市川福治・かな江直伝の阿呆陀羅経などもこなす腕前を誇る。かつては進駐軍相手のジャズバンドに所属していた。のこぎりを叩く「お?ま?え?は?ア?ホ?か?」のギャグは有名である。2020年12月9日午前8時、腎不全のため死去。88歳没[1]。
横山 マコト(本名:横山 誠、1934年6月16日 - 2022年4月22日)
次男、大阪府出身。アコーディオン担当。かつては高級で音の良いアコーディオンを使用していたが、近年体力面からアキラのミュージックソー演奏中はアコーディオンを肩から下ろし、アコーディオンも小型軽量な物を使用している。いわゆる絶対音感の持ち主であり、音楽を聴きながら記譜ができるという。また作曲家として、学校の校歌や企業の社歌などを数多く手掛けている。毎朝の散歩を日課としていた[2]。妻は浪曲師松浦四郎
横山 セツオ(本名:横山 節雄、1946年4月3日 - )
三男、大阪府出身。エレキギター担当。学生時代からバンド活動に参加。