模型航空競技
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ハンドランチ(手投げ)によるF1B級の発航ウクライナで行われた世界大会の様子(2007年)

模型航空競技とは、模型航空機による飛行計測・審査する競技である。競技者は優れた飛行結果のために、機体の設計製作・飛行操作、気象予知など、あらゆる手段をとる。
概要

模型航空競技は模型航空機による飛行の結果を計測または審査する競技である。審査は通常飛行によって行われるが、コントロールライン・スケールモデル競技ラジコン・スケールモデル競技のように外観の良否も成績に加算される種目もある。

飛行成績は、機体の性能と操縦・操作技能の相乗効果の結果であるが、その貢献度の比率は機種や競技種目によって異なり、時代によっても変化してきた。

模型航空機の機体、即ち競技に使用する用具の性能向上に競技者が深く参画することは模型航空競技の大きな特色である。一般のスポーツでは、用具の性能向上はスポーツ用品メーカーに付託され、選手自身が設計や製作に関与することは少ないが、模型航空競技では競技の成績に対して、機体の性能が大きく影響することから、機体の操作・操縦だけではなく機体を設計・製作し、あるいは選択・調達することも競技の一部とみなされている。より小規模ではあるが、ヨット・レースのアメリカズ・カップ自動車レースフォーミュラ1のように、用具の設計からその操縦までの全ての要素を包含し、それらを個人で行うのである。

機体を操作する技能には、天候を読み、飛行のタイミングを選ぶといったより広範な要素も含まれるため、操縦にとどまらない。また、相手選手や審判員との駆け引きや、#競技規定に基づく適切な抗議およびその防御が敏速に行えることも重要である。
歴史
前史

模型航空機による飛行の記録を遡ると、1804年に飛行に成功したジョージ・ケーリーグライダーや、1871年のアルフォンス・ペノーゴム動力機による模型機の実験的な飛行が行われている。しかし、これらは単独に行われた学術的実験・研究のための「記録飛行」であった。1903年にはライト兄弟ライトフライヤー号による有人飛行に成功し、世界的に航空ブームが起きた。
草創期

模型航空競技は前述の航空ブームを受け、1908年イギリスにおいて創始された。1914年第1次世界大戦開戦直前の時期が、最初の模型航空興隆期であった。

初期の競技種目は、フリー・フライトA字型ゴム動力機を中心とし、上記と同様に「記録飛行」的なもので、距離・滞空時間・速度を計測するものであった。これらの飛行記録は、1912年時には距離320ヤード(約290m)滞空時間60.4秒で、公園ゴルフコースに収まる程度であった。しかしながら、水準は急速に向上し、1914年には590ヤード(約540m)・169秒に、さらに1923年には247秒に達した。

記録の向上によって距離競技と速度競技は測定が困難になり、種目の中心は滞空競技となった[1]
国際競技大会の創始

1928年からはイギリス模型協会 (SMAE) 主催により初の国際模型航空競技大会であるウエークフィールド杯競技が開始された。この競技は、多くの規定改定を経て現在まで続き、その賞杯は国際航空連盟 (FAI) が行う世界選手権競技のF1B級の優勝者に授与されている[2]
バルサ材の導入

1930年にはアメリカ合衆国のモデラー[誰?]が中米産の軽量木材であるバルサを模型機に使用して、格段と軽い機体を作ることに成功した。そのために、ゴム動力模型機は急上昇によって高高度を獲得する飛行法が可能になり、高空より滑空して滞空時間を稼ぐ戦術が効果を発揮するようになった。1930年度のウエークフィールド級世界選手権大会戦では、この戦法を採ったアメリカ機が旧来の重いイギリス機に圧勝し、模型航空機の滞空競技に新しい戦術をもたらした。

滞空競技において、高高度まで上昇して滑空で滞空時間を稼ぐという戦法は、以後も踏襲された。この飛行法だと、サーマルなどの上昇気流を利用することが出来るので、極端な長時間飛行が可能となる。1939年の世界選手権大会におけるD. コルダ機(米)の飛行時間は40数分に達した。
MAX制の導入

1939年大会以後、このような偶発的な長時間飛行の影響を除去するために、最高飛行時間制限制(MAX制)が導入された。MAX制とは、おおむね当該種目の理論性能に対応する滞空時間を想定し、それを越える飛行は上昇気流などの外的条件によるものと見做し、機体固有の性能によるものではないと判断して記録計時を打ち切るという、最大飛行時間よりも多数回の確実な飛行を重視する評価制度である。

戦前の競技法は、10分MAXの飛行を3回行い、合計を成績とする方法であった。戦後は5分MAXを3回、ついで3分MAXを5回にそれぞれ改正され、2009年現在では3分MAXを7回行うものとなっている。いずれの時代も、競技は1日の間に行われた。
競技種目の増加

第二次世界大戦前に行われていた、模型航空機の世界種目は、上述のウエークフィールド級だけで、主催はイギリス模型協会 (SMAE) であった。戦後、模型航空の国際競技が再開されると、1950年ころにウエークフィールド競技の管理・開催がSMAEより国際航空協会 (FAI) に移管された。同時に、グライダー種目(ノルディックA/2級)とエンジン機種目(FAIパワー)が追加されて、模型航空機の国際競技の体制が整備された。
操縦種目の発展

第二次世界大戦直前に、アメリカで模型飛行機を操縦するシステム2種類が考案され、国内競技に採用されている。機体に取り付けた鋼索の一端を操縦者が操作して機体の舵を動かすコントロール・ライン、そしてラジオ・コントロールである。

模型飛行機に「操縦」という要素が導入されたので、その巧拙や曲技飛行を競う競技種目が成立した。

これは一定の飛行パターンの正確性や美しさが審査員に目視判定・採点されるフィギュアスケート体操競技と同様の競技法である。


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