模型航空教育
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模型航空教育(もけいこうくうきょういく)とは、

1)、模型航空に関する知識や技能を教育すること。

2)、上記を手段に使って、たとえば科学技術などのほかの目的の教育をすること。
目次

1 概要

2 模型航空教育の前史

3 第二次大戦前のドイツの模型航空教育

4 日本の国(文部省)による模型航空教育

4.1 導入の経過

4.2 当時の当局の考え方

4.3 当時の学年別教材と製作所要時間

4.4 当時の現実状況

4.5 「ドイツ式」と「アメリカ式」の模型航空のねじれ現象

4.6 模型業界の裏面事情

4.7 育成された学童モデラーの数とその消滅


5 日本の模型航空の戦後復興と教育方針の転換

6 戦後再開後の模型航空教育

6.1 年少者に対する模型航空教育

6.2 成年者に対する模型航空教育

6.3 指導者講習会

6.4 競技役員講習会

6.5 雑誌や参考文献の執筆・発行の教育効果

6.6 学会活動・学会誌・研究会

6.7 飛行現場の観察と個別な質疑会話

6.8 飛行の安全とマナーの教育

6.9 アメリカ模型航空協会(AMA)の巧妙な教育・勧誘の連携


7 模型業界への影響

8 脚注

9 参考文献

10 関連項目

11 外部リンク

概要

狭義の模型航空教育は、模型航空に関する知識や技術などを教育することで、目的も模型航空活動の向上にある。

模型航空と言う活動はホビー/スポーツという遊びに含まれ、参入者が自発性によって学んで始める場合が多く、教育と言う活動には馴染まない面もある。しかしながら、模型航空は多方面の高度な知識や技能を必要とするので、参入勧誘や関連機材の販売営業も、それを伝える必要が大きい。さらに、新しい要素を取り込み、分野を拡大することが多いので、その伝達も必要である。従って、他のホビーやスポーツに比べると、教育や関連する学術の情報伝達を必要とし、学会活動なども行われている。

また、航空は科学技術や国力の重要要素であったために、模型航空活動をそれに役立てる目的で、国が積極的に教育システムに取り入れ、利用した時代があった。このときは国公立の初等教育で模型航空を教科に入れ、国が主導する少年団でその活動を補完した。複数の国がホビー/スポーツに対して、このような関与をした例は無く、模型航空教育は極めて特殊な歴史をもつ。それ故に、「模型航空教育」は、定義の2)にあるような手段とし使われる場合の意味も持つことになった。

手段としての模型航空教育は、第2次大戦前・中の独・日など、ならびに第2次大戦後の共産主義国で行われた。これは、ヴェルサイユ条約の抜け道として1920?30年ころのドイツに始まり、1930年代後半に日本も導入、1941年から実施され1945年までに学童モデラー1000万人を育成した。

日本は、国(文部省)による模型飛行機教育を国民学校の科目として行った。育成された多数の学童モデラーは、戦後の断絶にとって1965年頃には大部分が消滅した。しかしながら、短期間であっても国などの大きな組織で模型航空を推進した結果、高い水準の参考書や文献、訓練された指導者などが遺され、戦後の模型界に与えた影響は大きい。

今日的な目で見ると、この膨大な模型飛行機人口の生成はバブルであり、理由は

航空技術が急伸した時代であり、頻繁に新型機が発表され、少年の興味が航空に集中。

戦時であり、国家的に上記を利用して、学童に対して科学・軍事教育を行った。

特定のホビーやスポーツを、国が学校教科に入れてまでして推進・振興する例は稀であるが、模型航空に関しては第2次大戦の戦前・戦中の独、日に止まらず、戦後になって旧ソ連をはじめとする共産主義各国でも踏襲されている。1950年代の模型航空世界選手権競技では、旧ソ連をはじめハンガリー、ポーランド、ルーマニア、などが好成績を挙げ、技術的にも先進的であった。時代が下り1970年以降になると、中国、北朝鮮などが台頭した。敗戦国のドイツも、1955年には当時は3種目しかなかった世界選手権種目の2種目を制覇している。日本の模型航空が世界に追いついたのはこれより遅く、国による教育の貢献度は少ない。その理由のひとつは、教育期間が他国より短く、学童が自学自習して独力で模型航空を継続することが出来なかった点である。ドイツは日本よりも10年以上前から模型航空教育を取り入れ、戦後の共産国も日本よりは長い実施期間であった。

日本の模型航空活動は昭和25年頃より、教育の手段ではない純粋のホビー/スポーツとして復活した。国民学校で教育された大量な模型航空人口は大部分が消滅し、ホビー/スポーツを行うための社会環境も不十分であったのでさらに淘汰が進み、在来種目の模型航空人口は激減した。他方、コントロール・ライン(Uコン)やラジオ・コントロール(RC)などの新機種が導入され、転向者・新規参入者が生じた。これらは新種の知識と技術を必要とするために、その導入には教育を必要とした。種目によっては単独飛が危険を伴うために、クラブに入会し熟練者の立会いの下で飛行を行うことが奨励されており、技術の伝承が行われている。

時代とともに都市圏が膨張して飛行場所に隣接するようになり、モデラーと一般人との接点が増え、事故などの確率は増加した。JMAなどの統括団体は安全教育に努め、モデラーのマナーの向上を図っている。今後の模型航空教育の方向として、知識や技能と平行して、周辺の一般関係者との関係を円満に継続するための教育が重要と言える。

日本では教育の観点から普及が進められたため、航空機模型と船舶模型は学習教材とみなされていた[1]
模型航空教育の前史

模型飛行機の歴史は、19世紀後半にジョージ・ケーリーのグライダーや、アルフォンス・ペノーのゴム動力機などが、学術実験として飛ばされ、20世紀に入って実機の有人飛行が成功した後、イギリスに最初の模型飛行機ブームが起こった。当時のモデラーはエリートの先駆者たちで、個別に研究を行い、教育と言う形は無かった。

第一次世界大戦によって模型航空ブームは中断された。敗戦したドイツはヴェルサイユ条約によって航空機の保有や研究を禁止され、技術保全の手段としてグライダーをはじめとするスポーツ航空を指向した。1920年にすでにグライダーの記録飛行が行われ、年々飛躍的に進歩している。パイロットの組織的な養成も行われ、後年の第二次世界大戦のエース・パイロットが何人も育った。模型飛行機の教育は、グライダー訓練の準備・補完的な位置づけで始められた。グライダーに乗れる年齢は15歳くらいであり、それまでに航空への興味をつなぎ、知識や技術を習得させておくことで、以降の訓練を著しく能率化できた。
第二次大戦前のドイツの模型航空教育

学校内においては10歳くらいから模型飛行機の製作と飛行と原理研究が正課として盛り込まれた。1930年ころには学校内外の活動が連携して、全国を17区に分けた予選を経た全国競技大会がワッサークッペ滑空場で開催されている。大型の3mクラスのグライダーが多く、機数は500機程度、機体検査に13時間、競技に2日を要した。

1930年代以降のドイツでは、学校および少年団で指導者の下に模型機の製作が行われた。団体訓練の一環であるため、大型の模型機1機を多人数で手分けして製作し、設計や用材も一定であった。だから、全国競技会の「参加500機」には、その何倍かの人数の学童が参画していることになる。

学校・少年団に加えて、全国7箇所に指導員養成学校があり、教員などが講習を受けている。環境は十二分に整備され、指導者も多く、少し上の先輩の指導も受けられた。機体や用材は規格化され、製作や飛行は団体で行われた。このような段取りが、優秀なグライダーパイロット・飛行機パイロットを養成するためには有効であった。
日本の国(文部省)による模型航空教育

当時ドイツと同盟関係にあった日本は、前述のドイツの模型航空教育システムを手本にして、文部省が昭和12年ころから模型飛行機教育を立案・実施した。つまり、小中学校の全ての学科(特に理数科・工作)を通して、滑空訓練と模型航空機の教育を目指した。
導入の経過

1)、昭和12年に、正課にする目的で中等学校3年(16歳に滑空訓練採用を奨励する方針を出した。それを目標に操縦・製作の指導教員養成、指導教程編纂、教材機(実機グライダー)の設計を行った。搭乗年齢(16歳)未満は、模型航空機製作など予備的教育を実施することにした。

2)、昭和14年に、小学校における模型教育の研究調査に着手。協議会メンバーは、航空学者・航空機設計者と製作者・模型飛行機の専門家・児童教育心理学者・軍の航空教育関係者・手工科の先生。

3)、昭和15年に、小学校で教える教程試案。全国の師範学校、小中学校の工作・作業の先生の府県代表を東京・広島の高等師範に集め1週間の講習会開催。受講者は、各地区の中心として各地で講習会・研究会を開催。試案を修正。

4)、昭和16年に、上記を踏まえ第2次試案作成・発表。内容は小学校1年生から高等小学校2年生までの各学年の手工、または国民学校の芸能科の工作で作る模型機の形式と、制作・飛行の指導要領。本年より学制が変わり「国民学校」になる。4月?5月の間に、ドイツより模型航空教育指導者を招き、各地で講演会を開催し、教育に使われている模型機数機種を紹介している。


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