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樋口 雅一(ひぐち まさかず、1946年11月18日 - )は、山梨県都留市出身のアニメーター・アニメーション演出家・アニメーション監督・漫画家である。 高校を卒業後、竜の子プロダクション(タツノコプロ)に入社。しかしすぐに退社し、虫プロダクションに移った。両社では数々の作品に、アニメーターとして関わっている。 1969年よりフリーランスとなり、この頃から演出家としての活動も開始。『ムーミン(新)』や『昆虫物語 新みなしごハッチ』などの演出を経て、グループ・タック在籍時の1977年、『まんが偉人物語』で初めてチーフディレクターを務めた。 1979年、『まんがこども文庫』のプロデューサーだった鬼丸一平を代表に、演出家の矢沢則夫・森田浩光・辻伸一、美術の内田好之・阿部幸次・下道一範と共に7人で「メルヘン社」の設立に関わる。[1] 1980年の『森の陽気な小人たちベルフィーとリルビット』以降はフリーに戻り、『アニメ親子劇場』をはじめとした『聖書シリーズ』を手掛けてからは、「聖書の漫画化」「グリム童話の漫画化」を依頼されて、後に漫画家へとシフトしていく。 そこに至るまでの20年ほどはフリーランスを軸にC&Dディストリビューション(旧DIC)と個人専属契約を結びながら、『ホワッツマイケル』(C&Dが初めて国内アニメを受注した作品)『パラソルヘンべえ』(シナリオも狭山太郎名義で担当)で総監督を務めた。『ゴールFH』には当初監督として参加したが、岡嶋国敏に交替して、自身は各話演出・コンテ担当に戻っている。 現在はアニメーション業界とは距離を置き、漫画家として活躍中である。 2012年には『まんが日本昔ばなし』の流れを汲み、グループ・タックOBも制作に多数関わる『ふるさと再生 日本の昔ばなし』でコンテ担当・各話演出として参加し、久方ぶりにアニメ制作に復帰している。 1974年 1975年 1976年 1977年 1980年 1981年 1982年 1983年 1984年 1985年 1988年 1989年 1994年 1996年 1997年 2012年
目次
1 来歴
2 主な参加作品
2.1 テレビアニメ
3 主な漫画作品
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク
来歴
主な参加作品
テレビアニメ
ウリクペン救助隊(演出)
昆虫物語 新みなしごハッチ(演出)
小さなバイキングビッケ(演出、原画)
まんが日本昔ばなし(演出、原画)
ドカベン(コンテ)
ハックルベリィの冒険(演出)
あしながおじさん(監督)
超電磁マシーン ボルテスV(コンテ)
まんが偉人物語(チーフディレクター)
とんでも戦士ムテキング(演出)
森の陽気な小人たち ベルフィーとリルビット(演出、原画)
アニメ親子劇場(チーフディレクター、ゲストキャラクターデザイン)
トンデラハウスの大冒険(チーフディレクター、ゲストキャラクターデザイン)
パソコントラベル探偵団(チーフディレクター)
アニメ ゴーストバスターズ
森のトントたち(監督)
小公女セーラ(コンテ)
ホワッツマイケル(総監督)
パラソルヘンべえ(総監督、脚本)※脚本は「狭山太郎」名義
ゴールFH(監督、絵コンテ、演出)※絵コンテ、演出は「狭山太郎」名義
シンデレラ物語(演出)
忍ペンまん丸(コンテ、演出)