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.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目に含まれる文字「樋」は、オペレーティングシステムやブラウザなどの環境により表示が異なります。
樋口 宗孝
出生名樋口 宗孝
別名ひぐっつあん
デイビー
生誕 (1958-12-24) 1958年12月24日
出身地 日本 奈良県奈良市
死没 (2008-11-30) 2008年11月30日(49歳没)
日本 大阪府大阪市
学歴大阪府立藤井寺高等学校
ジャンルヘヴィメタル
ハードロック
職業ミュージシャン
音楽プロデューサー
担当楽器ドラム
活動期間1977年 - 2008年
レーベル徳間ジャパン(LOUDNESS)
ランティス(レイジー)
事務所MUROCK ソルブレッド
樋口 宗孝(ひぐち むねたか、1958年12月24日 - 2008年11月30日)は、日本のドラマー、音楽プロデューサー。奈良県奈良市出身。大阪府立藤井寺高等学校卒。身長177cm。愛称は「ひぐっつあん」。 1958年、奈良県に生まれる。 1977年、アイドルバンド「レイジー」のドラマーとしてデビュー。当時のニックネームは「デイビー」。本人は「デレク・ロングミュアー(ベイ・シティ・ローラーズ)に似ている」と言って嫌がり、「12月24日生まれだから"イブ"がいい」と主張したが、「イブは(女性名という事もあり)イメージに合わない」と言われたという[2]。当時の所属事務所代表の藤田浩一とは反りが合わず(藤田はレイジーのデビュー前の時点で、ドラマーは必要ないかも、と語っていたほどであった)、他のメンバーより早く成年を迎えたため他のロック系ミュージシャン達の酒の席に参加し、色々な意見を聞きレイジーのハードロック路線を取り戻すために水面下で動いていた。それを知った藤田と衝突、殴り合いの喧嘩や解雇されかけるという確執状態にまで拗れる。 なお、THE ALFEEの坂崎幸之助もレイジーの方向性について樋口に相談を受けたが、樋口は当時のTHE ALFEEをハードロックバンドと誤解していた。(1979年?1980年頃のTHE ALFEEはフォークバンドであった。) 1981年、レイジーが解散。その後、同じくレイジーのギタリスト高崎晃と共にLOUDNESSを結成し、同バンドのドラマーとして再デビュー。1990年にはBLIZARDのアルバム「DANGER LIFE」をプロデュースした。 1994年にLOUDNESSを脱退し、かつての同僚の二井原実らとSLYを結成。 1998年、レイジーを再結成し、BLOOD CIRCUS結成。同時に、はたけ(シャ乱Q)、鮫島秀樹(当時HOUND DOG)らとRose of Rose
概要などでドラムを担当[1]。日本のHR/HM界を代表するドラマーである。LOUDNESSのオリジナル・メンバーでは最年長で、パワフルなドラミングが持ち味。ジョン・ボーナム(レッド・ツェッペリン)の強い影響から、シングルバスに強いこだわりを持っており(ドラムセットもジョン・ボーナムのセッティングとほぼ同じ。過去に、LOUDNESSのデビュー当時のアーティスト写真では2バスになっていた)2バスのニュアンスを表現する際においてもフロアタムを巧みに使いバスドラム1つのみでプレイをこなすという徹底ぶりである(当時、ラウドドラミングと呼ばれていた)。近年は、ドラムセットに大きいサイズのものを導入(下記機材参照)、スティックにはアメリカ製のイーストンアヘッド社のジュラルミンスティックを使用し、同社から樋口宗孝モデルが販売されている。(詳細は下記参照)
略歴
2008年4月より、肝細胞癌のため活動は中止し[3]治療に専念していたが、同年11月30日朝、自宅で嘔吐して倒れているのを家族が発見、救急搬送されたが午前10時44分大阪市の病院で死去。満49歳没[4]。生涯独身であった。2008年12月24日、自身の生誕50年に伴い、東京・青山にある青山葬儀所にてお別れの会が開催され、LOUDNESSやレイジーのメンバー、レイジーの大ファンであった飯島直子を初めとする各著名人を含む1,500人を超えるファンが弔問に訪れた。戒名は「宗誉楽音禅定門(しゅうよがくおんぜんじょうもん)」。また、彼と親交のあった山本恭司や真矢、LEVIN、宮脇知史から、かつてBOOWY時代に同じビーイングに所属していた布袋寅泰[5]や高橋まこと[6]、学生時代にLAZYのファンだった奥井雅美[7]、大林素子[8]や、つるの剛士[9]、平野啓一郎[10]などの、様々なジャンルの著名人からもブログを通じて追悼のコメントを出し、海外でもフランキー・バネリ(元クワイエット・ライオット)やショーン・ドローヴァー(メガデス)、ジェイムス・コタック(スコーピオンズ)、シェーン・ガラース(B'zのサポート・ドラマー)らが追悼のコメントを寄せた[11]。
人物
ドラム専門誌『リズム&ドラム・マガジン』に彼の企画が入っている号は毎回販売部数の記録を更新する程であった。また、アメリカのドラムヘッドメーカー「アクエリアン」とスティックメーカー「イーストンアヘッド」社から樋口宗孝モデルがそれぞれ販売されているが、アクエリアンドラムヘッドについては、既に製造中止を2008年末に決定しており、樋口宗孝モデルのヘッドは在庫限りとなっている。