様似郡
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北海道様似郡の位置(黄:様似町)

様似郡(さまにぐん)は、北海道日高国日高振興局

人口3,828人、面積364.3km²、人口密度10.5人/km²。(2024年4月30日、住民基本台帳人口)

以下の1町を含む。

様似町(さまにちょう)

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足して以来、郡域は上記1町のまま変更されていない。
歴史
郡発足までの沿革

江戸時代に入ると、松前藩商場知行制および場所請負制によるシャマニ場所(初期は幌泉場所とあわせて油駒場所とも)が開かれ、様似には北前船が寄航することもあった。

江戸時代初期1635年寛永12年)にポロナイ川上流で金鉱が発見され、幕府直轄の東金山金鉱山が大勢の和人を集めていたが、1669年寛文9年)のシャクシャインの戦いに伴い、東金山金鉱山が閉山を余儀なくされる。

江戸時代中期1706年宝永3年)住吉神社の前身の小社が創祀されている。陸上交通は渡島国箱館から道東千島国方面に至る道(国道336号の前身)の途上であったが、沿岸部に通行の難所があったため、寛政11年蝦夷地取締御用を命ぜられた大河内善兵衛政寿が中村小市郎、最上徳内らに命じ冬島 - 幌満間に道程3里(12キロ)弱の様似山道を開削、中継地点として「コトニ小休所」も設けられ、その翌年伊能忠敬も通行している。

様似山道が開削された年、様似場所は天領とされ、江戸時代後期に入ると、南部藩によるシャマニ山道修繕が1802年享和2年)12月から翌3年にかけて行われる。また、様似山道には、後年松浦武四郎なども通行している。1806年文化3年)幕府により蝦夷三官寺筆頭寺院である等?院が建立される。慈覚大師円仁円空がこの地で修業したと伝わり、様似に建立されたという。1821年文政4年)いったん松前藩領に復すが、1855年安政2年)再び天領となり、仙台藩が警固をおこなった。1862年文久2年)、様似山道開削に尽力した斉藤和助をしのび、和助地蔵尊が建立された。戊辰戦争箱館戦争)終結直後の1869年大宝律令国郡里制を踏襲して様似郡が置かれた。
郡発足以降の沿革北海道一・二級町村制施行時の沙流郡の町村(11.様似村 青:区域が発足時と同じ町村)

明治2年

8月15日1869年9月20日) - 北海道国郡里制が施行され、日高国および様似郡が設置される。開拓使が管轄。

8月28日(1869年10月3日) - 鹿児島藩の領地となる(北海道の分領支配)。


明治4年8月20日1871年10月4日) - 廃藩置県により再び開拓使の管轄となる。

明治5年

4月9日1872年5月15日) - 全国一律に戸長・副戸長を設置(大区小区制)。

10月10日(1872年11月10日) - 4月に設置された区を大区と改称し、その下に旧来の町村をいくつかまとめて小区を設置(大区小区制)。


明治6年(1873年) - 様似山道の山中に旅籠屋「原田宿」が建てられる。

明治9年(1876年)9月 - 従来開拓使において随意定めた大小区画を廃し、新たに全道を30の大区に分ち、大区の下に166の小区を設けた。
明治9年の大区小区

第23大区

4小区 : .mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}鵜苫(うとま)村、海辺(うみべ)村、様似(さまに)村、平鵜(ひらう)村、門別(もんべつ)村、染近(しみちか)村、白里(しらり)村、核蘂(さねしべ)村、冬島(ふゆしま)村、郡内(ぐんない)村、嘯牛(うそふけうし)村、小宵(およい)村、幌満(ほろまん)村、島郡(しまくん)村、誓内(ちかない)村、傍平(そうひら)村、累地(るいち)村、逢牛(あいうし)村、農助(のすけ)村、桐橿(きりかし)村、二七(になな)村、岡田(おかだ)村、去魔(さりま)村



明治12年(1879年7月23日 - 郡区町村編制法の北海道での施行により、行政区画としての様似郡が発足。

明治13年(1880年)3月 - 浦河郡外十郡役所(浦河三石様似幌泉広尾当縁十勝中川河西河東上川郡役所)の管轄となる。

明治15年(1882年)- 以下の村が編入される。

・海辺村、桐橿村、傍平村→様似村
・門別村、染近村、白里村、核蘂村→平鵜村
・郡内村、嘯牛村、小宵村→冬島村
・島郡村→幌満村
・累地村、逢牛村、去魔村→岡田村
・農助村→二七村

明治15年(1882年2月8日 - 廃使置県により札幌県の管轄となる。様似村(戸長役場所在地)、鵜苫村、冬島村、幌満村、岡田村、二七村、誓内村、平鵜村の8村が存在。誓内村・幌満村は幌泉郡幌泉村戸長役場が管轄。

明治19年(1886年1月26日 - 廃県置庁により北海道庁札幌本庁の管轄となる。

明治20年(1888年)6月 - 浦河郡外六郡役所(浦河三石様似幌泉沙流新冠静内郡役所)の管轄となる。

明治30年( 1897年11月5日 - 郡役所が廃止され、浦河支庁の管轄となる。

明治39年(1906年4月1日 - 北海道二級町村制の施行により、様似村、鵜苫村、平鵜村、冬島村、二七村、岡田村、幌満村、誓内村の区域をもって様似村(二級村)が発足。(1村)

昭和7年(1932年8月15日 - 浦河支庁が改称して日高支庁となる。

昭和18年(1943年6月1日 - 北海道一・二級町村制が廃止され、北海道で町村制を施行。二級町村は指定町村となる。

昭和21年(1946年10月5日 - 指定町村を廃止。

昭和22年(1947年5月3日 - 地方自治法の施行により北海道日高支庁の管轄となる。

昭和27年(1952年)4月1日 - 様似村が町制施行して様似町となる。(1町)

平成22年(2010年)4月1日 - 日高支庁が廃止され、日高振興局の管轄となる。

参考文献

角川日本地名大辞典 1 北海道

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