この項目では、山科道安の日記について説明しています。藤原頼長の日記については「台記」をご覧ください。
『槐記』(かいき)とは、18世紀初頭の摂関・太政大臣であった近衛家熙の言行を、その侍医であった山科道安
が記した日記。はじめは『槐下与聞』と題された。享保9年(1724年)正月に始まり、享保20年(1735年)正月まで至る。自筆本は明治26年(1893年)に火災にあい、4冊のみが近衛家陽明文庫に残る[1]。公家の文化や学問に関する記述が多く、特に茶の湯や香道、花道に関する文献として重視されている。
書誌情報
刊本
『槐記』山田茂助(京都聖華房)、1900年
『槐記』(史料大観)哲学書院、1900年
注釈
佐伯大太郎注『槐記註釋』立命館出版部、1937年
柴田実校注『槐記』(茶道古典全集第五巻)淡交社、1958年
野村貴次校注『槐記』『近世随想集』(日本古典文学大系96)、岩波書店、1965年
脚注^ 川崎佐知子「『槐記』山科道安自筆本焼失次第」『立命館文學』第630号、2013年3月。
参考文献
柴田実「槐記」『国史大辞典』吉川弘文館、1983年
筒井紘一「槐記」『日本大百科全書』小学館、1985年