構造主義(こうぞうしゅぎ、仏: structuralisme)とは、狭義には1960年代に登場し主にフランスで発展していった20世紀の現代思想のひとつである。なお、構造主義と構成主義は異なる。構造主義の代表的な思想家としてクロード・レヴィ=ストロース、ルイ・アルチュセール、ジャック・ラカン、ミシェル・フーコー、ロラン・バルトらが活躍した。 構造主義は広義には、現代思想から拡張されて、あらゆる現象に対して、その現象に潜在する構造を抽出し、その構造によって現象を理解し、場合によっては制御するための方法論を指す語である[注釈 1]。構成主義者のジャン・ピアジェが「構造主義」という著書を出版していたり、「構造主義」「構成主義」「構造構成主義」「構築主義」など、大学で哲学を学ぶ学生を混乱させる用語は多いが、構成主義と構築主義(社会構成主義)は同じである[1]。なお、構造主義と構成主義は日本語では似ているが、英語ではまったく異なる用語になっている。エミール・デュルケームの研究により、社会学の概念は「構造」と「機能」で構成されるという「構造機能主義」のアプローチが生まれた[2]。構造主義という名称から、イデオロギーの一種と誤解されがちであるが、今日では方法論として普及・定着している。あらゆるイデオロギーを相対化するという点でメタイデオロギーとも言える。文化人類学、社会学、論理学、言語学、精神分析学、心理学、経済学、生物学、記号論、ゲーム理論などの学問分野の他、文芸批評、音楽評論にも構造主義が応用されている。 これはフランスの思想界を中心にして多くの反響をもたらしており、この見解をかりてマルクス主義を更新させようとする修正主義の試みもあらわしている。一般的には、研究対象を構成要素に分解して、その要素間の関係を整理統合することでその対象を理解しようとする点に特徴がある。例えば、言語を研究する際、構造主義では特定の言語、例えば日本語だけに注目するのではなく、英語、フランス語など他言語との共通点を探り出していくメタ的なアプローチ
概観
歴史レヴィ=ストロースの人類学における試みが構造主義の先駆となった
構造主義は、20世紀初頭のフランス、ロシアを拠点として、ソシュールらの研究により発展した[3]。ソシュールの言語学がフランスで広まったことは、構造主義の起源とされている。数学において、ブルバキというグループは、代数的構造、順序的構造、位相的構造の3つを母構造と呼び、公理学を導入することにより数学の形式化を進めた。 この方法論がどのような学問に応用できるのかについては、幅広いコンセンサスが得られておらず、構造主義の祖とされるソシュール自身は構造という用語を用いておらず、自身の理論を言語学以外の分野に拡張することにも慎重であった。ソシュールは記号論にも影響を与えた。
構造主義という用語が広く知られるようになったのは、クロード・レヴィ=ストロースが、このような方法論を人類学に応用し、文化人類学において婚姻体系の「構造」を数学の群論 (group theory) で説明したのが嚆矢である。群論は代数学(抽象代数学)の一分野で、クロード・レヴィ=ストロースによるムルンギン族
の婚姻体系の研究を聞いたアンドレ・ヴェイユが群論を活用して体系を解明した。1960年代、人類学者のクロード・レヴィ=ストロースによって普及することとなった。レヴィ=ストロースはサルトルとの論争を展開したことなども手伝ってフランス語圏で影響力を増し、人文系の諸分野でもその発想を受け継ぐ者が現れた[注釈 2]。アレクサンドル・コジェーヴのヘーゲル理解を承継したルイ・アルチュセールは構造主義的マルクス主義社会学を提唱した。