槇原敬之
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槇原 敬之
出生名槇原 範之
[1]
生誕 (1969-05-18) 1969年5月18日(55歳)[2]
出身地 日本 大阪府高槻市[2]
学歴大阪府立春日丘高等学校卒業[3]
ジャンルJ-POP[4]
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シンガーソングライター

編曲家

音楽プロデューサー

担当楽器

ボーカル

ピアノ

キーボード

活動期間

1984年 - 1999年

2000年 - 2020年

2021年 -

レーベル

WEA MUSIC(1990年 - 1992年、1993年 - 1995年、2000年 - 2003年)

River Way[注釈 1](1996年)

ソニー・ミュージックレコーズ(1997年 - 1998年)

SME Records(1998年 - 1999年)

東芝EMI(2004年 - 2006年)

J-more(2007年 - 2009年)

Buppuレーベル(2010年 - )[5]

事務所ワーズアンドミュージック
公式サイトMAKIHARANORIYUKI.COM

槇原敬之 Official Channel
YouTube
チャンネル

槇原敬之 Official Channel

活動期間2011年 -
ジャンル音楽
登録者数10.1万人
総再生回数7739万回
YouTube Creator Awards

登録者100,000人2024年5月

チャンネル登録者数・総再生回数は
2024年6月1日時点。
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槇原 敬之(まきはら のりゆき、1969年昭和44年〉5月18日[2] - )は、日本の男性シンガーソングライター[6]。血液型はO型。現在の所属レーベルBuppuレーベル[5]。公式ファンクラブは「Smile Dog」。
概要

大阪府高槻市出身。オリジナル曲に関してほぼ全曲作詞作曲編曲を自身でこなす。高校生のころから音楽家として頭角を現し、1990年にデビュー。1991年発表のシングル『どんなときも。』でブレイクし、『もう恋なんてしない』(1992年)、『SPY』(1994年)など恋愛心理を巧みに描く歌で人気を高めた。キャリアを重ね、2000年以降になると、人生の機微を優しい視点で描くメッセージソング(本人が言うところの「ライフソング」)を数多く発表するようになる[7]SMAPに提供した『世界に一つだけの花』(2003年)は、記録的な大ヒットになった[8][9]

楽曲制作においては「詞先」と呼ばれる歌詞を先に書く手法を採る[8][10]。あらゆるリスナーが理解できるように歌詞には平易な言葉が用いられ、作詞の題材は、主に日常生活に起きる出来事や恋愛模様であり、観念的表現が直接的に用いられることは少ない[10]
来歴
デビュー前

高校在学中の16歳時(1985年)、坂本龍一が当時担当していたNHK-FM放送の番組『サウンドストリート』のデモテープコーナーに、アーティスト名「C・M・C」(コンプレッサーズ・ミュージック・クラブ(後にコンプレッサーズ・ミュージック・カンパニーに改名)として「HALF」という楽曲を応募する。同曲は後に同企画での優秀作品をまとめたコンピレーション・アルバム『Demo Tape-1』(MIDI)に収録された[10]。同曲を制作したアーティスト「C・M・C」は実質槇原の1人ユニットであり、『Demo Tape-1』のライナーノーツにも、「作詞・作曲・歌・演奏-槇原敬之」とクレジットされている。同曲のレコーディングミキシング・エンジニアを担当していた沢田知久は、中学校当時から槇原の親友であり、槇原のメジャー・デビュー後もアルバム『Such a Lovely Place』にエンジニアとして参加している[11]
1990年代

1990年3月、「AXIA MUSIC AUDITION '89」で、グランプリを獲得。デモテープを聴いた一般の音楽ファンからの投票で選ばれる「一万人審査員賞」とのダブル受賞であった。応募曲は後にデビューシングルとなる「NG」で、サポートギタリストは従兄の寺西一雄(ROLLY)。発表時は槇原と寺西が2人で写る写真が各種音楽誌に掲載されていた。

三浪目の浪人生であった槇原は1990年10月25日にシングル『NG』とアルバム『君が笑うとき君の胸が痛まないように』でWEA MUSIC(後にワーナーミュージック・ジャパンに併合)よりデビューを果たす[12]

大学入学後の1991年6月10日[12]、3rdシングル『どんなときも。』をリリース。表題曲は、映画『就職戦線異状なし』主題歌、ケンタッキーフライドチキンCMソングに選ばれるなど話題となり[13]、シングル、アルバムを通じ自身初のミリオンセラーとなる。これらの活躍により、同年の第42回NHK紅白歌合戦に初出場し、翌年の春の選抜高校野球入場行進曲に選ばれた。同年、大学を中途退学。

1992年6月25日、3rdアルバム『君は僕の宝物』をリリース。槇原の代表曲となる「遠く遠く」等を収録、アルバムで初のミリオンを達成。

1994年11月25日、翌年4月まで全国30カ所56公演に及ぶ自身最大規模のコンサートツアー「WELCOME TO MY PHARMACY」がスタートし、約15万人を動員。同ツアー終了後、喉にポリープが発覚し、入院。

1996年、所属レコード会社内にプライベート・レーベル「River Way」を発足、7月25日、全曲ネイティブ・スピーカーによる英語詞のアルバム『ver.1.0E LOVE LETTER FROM THE DIGITAL COWBOY』を発売。同アルバム発売直前に先行発売されたシングル曲「COWBOY」のMVイギリスのデザイン集団Me Companyが制作、CGを駆使したアニメーション作品が話題を呼ぶ。

1997年ソニー・ミュージックエンタテインメントへ移籍。5月10日には初のベスト・アルバムとなる『“SMILING” ?THE BEST OF NORIYUKI MAKIHARA?』発売。オリコン1位獲得、190万枚のセールスを記録。同作品は12月、日本ゴールドディスク大賞の“ポップス部門”を受賞。

1998年3月、『“SMILING” ?THE BEST OF NORIYUKI MAKIHARA?』が、第12回ゴールドディスク大賞 ベスト・ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞[14]。4月15日から槇原初のアリーナ・ツアー「GEORGIA PRESENTS 槇原敬之 CONCERT TOUR '98“It's a LOVELY PLACE!”?春だ!桜だ!マキハラ君祭り!!?」スタート。4月30日まで全国5ヶ所、7公演を開催。

1999年8月26日に覚せい剤取締法違反容疑で逮捕され、これに伴い音楽活動を休止する。同年12月、懲役1年6ヶ月・執行猶予3年の判決を受ける。
2000年代

2000年、デビュー時に所属していたワーナーミュージック・ジャパンに復帰、11月発売の10thアルバム『太陽』で活動を再開する。

2003年、自身が作詞・作曲、SMAPに提供した「世界に一つだけの花(シングル・ヴァージョン)」が売上200万枚以上を記録。その後も伸び続け、2016年のSMAP解散時に300万枚を突破[15]。このヒットを受け、2004年春の選抜高校野球入場行進曲に選ばれる。

2004年、レコード会社を東芝EMIに移籍。8月、移籍後初アルバム『EXPLORER』とベスト・アルバムCompletely Recorded』を相次ぎ発売、双方とも50万枚を突破。『EXPLORER』は初登場1位を獲得。『Completely Recorded』は初登場2位だったが、売上は『EXPLORER』よりも上昇。9月にアルバム総売上枚数が1000万枚を突破、男性ソロ歌手として井上陽水長渕剛に次いで3人目であり、初チャートインから13年2か月での達成は史上最速記録となった。

2006年2月22日に14thアルバム『LIFE IN DOWNTOWN』を発売。同作の売上で、アルバム総売上枚数が井上を抜き、男性ソロ歴代1位となる。

2007年、レコード会社をエイベックス(レーベルはJ-more)に移籍。8月に36thシングル『GREEN DAYS』をリリース、同作で16年ぶりに12月31日『第58回NHK紅白歌合戦』に出場。
2010年代

2010年1月1日、デビュー20周年を記念したベスト・アルバム『Noriyuki Makihara 20th Anniversary Best LOVE』と『Noriyuki Makihara 20th Anniversary Best LIFE』2枚同時発売。10月、デビュー20周年記念ライブとなる「NORIYUKI MAKIHARA SYMPHONY ORCHESTRA CONCERT "cELEBRATION 2010"?Sing Out Gleefully!?Supported by BEAMS」を大阪城ホール日本武道館で開催。11月29日、プライべートレーベルであるBuppuレーベルを発足。J-moreから移籍[5]。インディーズでの楽曲リリースとなる。

2011年3月11日にBuppuレーベル第一弾シングル「林檎の花」、7月27日にBuppuレーベル第一弾アルバム『Heart to Heart』をリリース。

2012年2月3日 - 毎週金曜更新のインターネットラジオ「槇原敬之の神宮前ヴェランダスタジオ」放送開始。9月19日、ワーナー初期のアルバムを集めた7枚組BOX『EARLY 7 ALBUMS』発売。11月14日にコンピレーション・アルバム秋うた、冬うた。?もう恋なんてしない』を発売、ワーナー在籍時の全オリジナル・アルバムリマスタリングされ再発。

2019年2月13日、22ndアルバム『Design & Reason』を発売。


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