榴岡公園
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榴岡公園
Tsutsujigaoka Park
天皇御在位50周年記念広場
分類都市公園 > 基幹公園 > 都市基幹公園 > 総合公園
所在地 日本宮城県仙台市宮城野区榴ヶ岡、五輪1丁目、宮城野1丁目
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度15分38.2秒 東経140度53分49.1秒 / 北緯38.260611度 東経140.896972度 / 38.260611; 140.896972座標: 北緯38度15分38.2秒 東経140度53分49.1秒 / 北緯38.260611度 東経140.896972度 / 38.260611; 140.896972
面積11.2 ha
前身(榴ヶ岡):桜の馬場
(五輪):大日本帝国陸軍歩兵第4連隊営 → 連合国軍キャンプ・ファウラー → 東北管区警察学校
開園1695年元禄8年):桜の馬場
1902年明治35年):榴岡公園
運営者仙台市
設備・遊具歴史民俗資料館、市民センター、軽体育館、公園管理事務所、野外音楽堂
噴水四阿、彫像、ベンチ、水飲み場、植栽、照明灯
児童遊具
駐車場48台(100円/1時間)
バリアフリーバリアフリー公衆トイレ
アクセスJR仙石線榴ケ岡駅
告示1902年明治35年)
備考土地所有者の国から仙台市に無償貸与[1]
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桜の季節の榴岡公園(2008年4月)

榴岡公園(つつじがおかこうえん)は、宮城県仙台市宮城野区の丘陵地[2]にある都市公園

公園周辺は古くから榴ヶ岡あるいは宮城野と称される歌枕の地で、ツツジが多くみられたことから「躑躅岡」「躑躅ヶ岡」「山榴岡」「榴ヶ岡」などと表記されていた[3][注 1][注 2]江戸時代仙台藩伊達綱村がこの地に桜を植樹して民衆に開放したことから、当時から現在に至るまで花見の名所となっている[3]
歴史

1927年昭和2年)頃の仙台市および近郊地図。地図の30番が歩兵第4連隊兵営。31番が釈迦堂。32番が榴岡公園。1975年度(昭和50年度)撮影の国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成1984年度(昭和59年度)撮影の国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

現在の仙台市内には、古来に歌枕として詠まれた地名が3つあった。宮城野と玉田横野と、そして躑躅岡である。

藤原仲平みちのくの つつじが岡の くまつづら 辛しとけふぞ知りぬる」(『古今和歌六帖』)[4]

右大将道綱の母 「みちのくの 千賀の浦にて 見ましかば いかにつつじの をかしからまし」

二条大后宮肥後東路や つつじが岡に 来て見れば 赤の裾に 色ぞかよへる」(『夫木和歌集』)

道興准后 「名にし負ふ つつじが岡の 下わらび 共に折り知る の暮れかな」

平安時代末の1189年文治5年)、源頼朝奥州藤原氏藤原泰衡が戦った奥州合戦において、泰衡は国分原鞭楯に本陣を置いて頼朝の軍勢に備えた。この国分原は宮城野原であると考えられており、鞭楯は現在の榴岡公園の辺りと推測されている[5]

関ヶ原の戦いの後、伊達政宗1601年慶長5年)仙台城を築き岩出山城から移った。この際、石巻日和山と共に榴岡も築城の候補地だったと言われる。ただし、これは後世に記された文献に見られる話であり、具体的根拠が伴っているわけではなく、信憑性は低いと考えられている[6]。江戸時代になると、躑躅岡に替わって榴岡や榴ヶ岡の表記が一般的になる[7]

1650年慶安3年)、仙台七崎の1つ「玉手崎」の天神社境内に仙台東照宮が造営され、天神社はその境内社とされたが、仙台藩第3代藩主伊達綱宗によって1667年寛文7年)7月25日、榴岡に遷宮され榴岡天満宮となった[8][9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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