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Eitaro Sohonpo Co.
榮太樓總本鋪外観
(2017年9月18日撮影)
種類株式会社
市場情報非上場
本社所在地 日本
〒103-0027
東京都中央区日本橋一丁目2番5号
榮太樓ビル7階
設立2011年(平成23年)11月
(創業:1818年(文政元年))
業種食料品
法人番号4010001143272
事業内容和菓子の製造販売
代表者代表取締役社長 細田眞
資本金2500万円
従業員数300名
主要子会社榮太樓雪月花株式会社
株式会社細田協佑社
関係する人物細田安兵衛 (3代目)(創業者)
細田安兵衛 (6代目)(相談役、6代目社長、元会長)
外部リンクhttps://www.eitaro.com/
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株式会社榮太樓總本鋪(えいたろうそうほんぽ、英: Eitaro Sohonpo Co.)は、東京都中央区日本橋に本社・本店を構える、老舗の和菓子店である。創業は1818年(文政元年)。 本店は、江戸時代に細田栄太郎が店舗を構えた日本橋の「西河岸(にしがし)」の地に今もある。本社も同ビル内。 調布市仙川町2丁目に工場があったが2013年に廃止。現在、工場は八王子市七国1丁目にあり、そこで商品が製造されている。大阪府と福岡県に営業所を持つ。 商品の主な販売先は、百貨店、空港・駅構内、スーパーマーケット、コンビニエンスストア、ショッピングモールなど多岐に亘る。他には、榮太樓飴を主力商品として昔からの神社仏閣ルートも持っている。 近年はさらにWEB通販にも力を入れている。 1818年に江戸での菓子業を始めた細田徳兵衛のひ孫に当たる細田栄太郎の名前がその由来。 徳兵衛時代は九段に店を持っていたが、1857年、日本橋に店舗を構えたのが栄太郎である。開店当初は徳兵衛時代の「井筒屋」で商売を始めたが、4年後には店名を「榮太樓」に変更した。理由は客が「井筒屋」とは言わず、「えいたろうの店」「えいちゃんの店」としか呼ばなかったためらしい。 榮太樓總本鋪では1818年(文政元年)を創業年としている。 遡るとそれ以前にも数十年間の菓子業を営んでいる期間があるがそれは飯能時代のこと。細田徳兵衛が二人の孫とともに江戸九段の店で菓子業を始めたときを創業年としている。栄太郎から見ると細田徳兵衛は曾祖父に当たる。 1700年代の初め、現在の武州飯能に吉左衛門四世という者がいた。家は士族でありながら農業で生計を立てていた。1700年代なかば頃、吉左衛門四世は先祖代々の士族の位を捨てて菓子業を始めた。名前も善兵衛に変える。これが榮太樓の菓子業の始まり。そのときに作っていたのは煎餅焼。その商いは息子の善兵衛二世や孫に継がれる。この孫の名前が徳兵衛。徳兵衛は1817年に妻を亡くし、その翌年に孫二人(安太郎、安五郎)を連れて江戸御府内に出府。徳兵衛は江戸の九段坂で煎餅焼の商売を開始。店名は「井筒屋」。その井筒屋はのちに安太郎が継ぎ、安五郎は独立して別の菓子店に勤める。安五郎は腕が良く職長をしていた。やがて安五郎は「伊立屋」の看板を掲げて一本立ち。1830年に結婚。1832年に長男、栄太郎が生まれる。栄太郎は子供の頃からよく父の商いの手伝いをしていたので町内では孝子で通っていた。 1852年、栄太郎19歳のときに流行り病で伯父と父親を同時に亡くす。母と弟や妹など家族もいるので栄太郎は伯父の名である安兵衛を継いで一族の長となる。このとき九段坂の井筒屋はもう傾いていた。栄太郎は日本橋南詰の屋台商売にさらに精を出す(今の西川ビルとコレド日本橋の間)。栄太郎の金鍔は非常に有名で、とくに魚河岸で働く軽子たちには甘くて栄養価も高い金鍔は大人気だった。その後1857年(安政4)、西河岸町に店鋪を構える。当初は井筒屋の屋号で商売を始めたが、お客様が「栄太郎の店」と言うので、数年後に店名も「榮太楼」に変えてしまう。店鋪の場所は現在も本社として同じところにある。 明治期になると上野で開催された内国勧業博覧会や海外で催された万国発明品博覧会などに商品を出品しながら、知名度を東京一円に拡大してゆくとともに、1940年には有限会社を経て、1972年、株式会社へ改組。
概要
社名の由来
創業年
歴史
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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