極道の妻たち
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『極道の妻たち』(ごくどうのおんなたち)は、1986年東映京都撮影所製作・東映配給により公開されたヤクザ映画[1][2]監督五社英雄。主演は岩下志麻

女性たちを主人公にした威勢のいいエンターテインメント映画として大好評を博し[3]、新時代のヤクザ映画として東映の一時代を築き[4]、以降、主演女優・監督を代えながらロングランシリーズへと展開し、計16作が製作された[3][5]。通称『極妻(ごくつま)』[1][3][5][6]。岩下志麻の劇場シリーズは1998年のシリーズ10作目『極道の妻たち 決着(けじめ)』で一応の完結となっている[5][7]
概要

家田荘子ルポルタージュを原作に[8]、それまでのヤクザ映画では脇役が多かった女性側の視点から描いた異色のやくざ映画シリーズ[3][9]。原作本は「極道の妻たち」(ごくどうのつまたち)であり、読み方が異なる。愛する夫を組同士の抗争や内部の謀略で失った『極妻』が自らの手で仇を取るという復讐劇[10]。それまで東映が散々やり尽くした「男の世界」を描く任?映画のフォーマットを、女性中心の世界観で斬新に作り替えた[3]
『文化通信ジャーナル』2011年3月号の「東映60年史」では「女性版実録シリーズのスタート」と記述されている[11]
キャッチコピー「愛した男が極道だった」[12][13]
製作経緯
企画

企画は日下部五朗[6][9]。東京に行く新幹線で『週刊文春』に連載された家田荘子の原作を読み、家田に直接会って映画化の交渉を行う[9]。日下部が引かれたのはまずタイトル、さらにリアリティーが持つ非日常的な迫力に圧倒された。日下部もそれまで多くのヤクザ映画を手掛け、ヤクザの世界にはかなり通じているつもりでいたが、それ以上に知らない生態を体当たりで取材している[9]。聞けば、既に松竹と話が進み、テレビからも声がかかっていた[6][9]。日下部はやや強引に「おこがましいようだが、こういうものを作らせたら、東映にかなう会社はありませんよ。しかもこの手の企画なら、わたしが一番だという自信がある。誰にでも聞いてみて下さい」などと説得、家田を口説き落とすことに成功した[6][9]岡田茂東映社長(当時)には事後承諾の形となったが、幸い岡田社長からすんなり了承を得た[9][14]。家田荘子は東映、東宝松竹の大手三社全部とテレビ局からも打診があったと話している[15]。テレビからは「タイトルが欲しい」と言われたため、危機感を感じてすぐにタイトルに登録商標を取ったという[15]
キャスティング

1960年代のヤクザ映画全盛のオールナイト興行には、体制に不満を持つ学生を中心に、底辺で働く若者や水商売の女性、あるいは都会の片隅で孤独に生きる人たちが多かった[9]バブル期直前の1980年代半ばの日本には、代わってごく普通のOL、あるいは女子学生にも広く受け入れられる映画が要求された[9]。それまで岡田茂は意図的に女性客を切り捨てる極端な男性路線を敷いていたが[16]、時代の要請から女性客をターゲットにした映画が作れないかと思案していた[17]。ヤクザ映画はマンネリといわれたが、方法論を変えれば打破できるはずだと日下部は考えていた。一般の主婦やOLは、ヤクザ映画には抵抗を持ちながら、一方で見てみたいという気持ちを強く持っている。それには、主婦やOLに違和感なく、ヤクザ映画には縁のない、テレビなどで好感度の高い大物女優を主人公に起用して安心感を与える[9]、ヤクザ映画とは全然関係のないスターを起用することで、ヤクザ映画に市民権を持たせたかった[18]。日下部は当初、「"極妻"は東映の監督陣と日本を代表する女優たちとで回していきたい」と、一作目の主演女優を岩下志麻、二作目を十朱幸代、三作目を三田佳子、四作目を山本陽子、五作目を吉永小百合という構想を練っていた[19]。ところが、四作目の製作が決定した際に、岡田社長が「やっぱり岩下に戻そうや」と鶴の一声を発して以降は長く岩下が主演を務め、極妻は岩下の代名詞となるほどの岩下の当たり役シリーズとなった[19][20]。シリーズ終了後も岩下が出演するCMは"極妻"のパロディーで制作されたものが多かった[注釈 1][21]。岩下は同じ五社英雄監督の1982年、『鬼龍院花子の生涯』で、既に"姐御"役を経験していたが、本作では凄みの効いた低い声で「あんたら、覚悟しいや!」と拳銃をぶっ放し姐御イメージを決定的にした[3][14][22][23]。岩下自身「極妻は自分の財産になる作品になったと思うんです。こんなに長いシリーズ物をやらせていただいたのは、女優生活で初めてなんですね。年代的にもう中年になってから、こういう主演作に巡り逢えるとは思いもよらなかった」と述べている[14]。忘れられない3本として『心中天網島』(1969年)、『はなれ瞽女おりん』(1977年)とともに『極妻』を挙げている[14]

岩下とともに"極妻"に欠かせない女優がかたせ梨乃[9][24]


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