楠部三吉郎
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くすべ さんきちろう
楠部 三吉郎
生誕 (1938-01-01)
1938年1月1日
満洲国(出生)
日本群馬県沼田市(出身)
死没 (2020-03-20) 2020年3月20日(82歳没)
日本・埼玉県所沢市
国籍 日本
出身校群馬県立沼田高等学校
明治学院大学経済学部
職業アニメーションプロデューサー
活動期間1970年 - 2020年
代表作『ジャングル黒べえ』(企画・プロデューサー)
ガンバの冒険』(プロデューサー)
元祖天才バカボン』(プロデューサー)
ドラえもん
クレヨンしんちゃん
あたしンち
肩書きシンエイ動画名誉会長
親楠部南崖(父)
家族楠部大吉郎(実兄)
楠部工(甥)
楠部文(姪)
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楠部 三吉郎(くすべ さんきちろう、1938年1月1日 - 2020年3月20日)は、日本アニメーションプロデューサーシンエイ動画株式会社名誉会長・元代表取締役社長。旧・満洲国生まれ、群馬県沼田市出身。楠部大吉郎(Aプロダクション・シンエイ動画創業者、前代表取締役会長)は実兄、ライターの楠部工は甥、イラストレーターの楠部文は姪に当たる。
来歴

俳人だった父(楠部南崖)を関東軍将校が「取り巻き」の一人として旧満洲国に連れて行ったことから、自身も満洲で生まれ育つ[1]。終戦とともに引き上げ、群馬県沼田市に居住した[2]群馬県立沼田高等学校から明治学院大学経済学部卒[3]。楠部自身の記述では高校卒業後、酒問屋で1年半勤めてから受験して明治学院大に進んだものの、授業には全く出席せず、保持していた運転免許を生かしたアルバイトに明け暮れていたという[4]。大学卒業後、エアコンサッシ営業のサラリーマンとなり、いずれも好成績を収めたが、アニメ業界で営業に苦労している兄・大吉郎を手伝うため、1970年に東京ムービーに入社した[5]。東京ムービーでは『ジャングル黒べえ』(企画・プロデューサー)・『ガンバの冒険』(プロデューサー)・『元祖天才バカボン』(同上)などの作品に携わる。1976年、兄とともにシンエイ動画を設立する[3]

シンエイ動画設立後は制作管理スタッフとして兄の大吉郎を支え、自身も経営に参加した。設立間もない頃、『ドラえもん』に惚れ込み再アニメ化を希望して活動。原作者藤子・F・不二雄の説得に始まり、制作資金の確保やテレビ局へのセールスなどの苦労を経て、日本テレビ版から6年後にテレビ朝日での放映を実現させ、アニメ版ドラえもんを成功させた立役者でもある。

1980年には映画『ドラえもん のび太の恐竜』のプロデューサーも担当。1990年には社長に就任し、「ドラえもん」を筆頭に数々の藤子アニメの新作やリメイク、『クレヨンしんちゃん』や『あたしンち』など数々のヒット作を世に送り出している。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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