楠瀬誠志郎
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楠瀬 誠志郎
出生名楠瀬 誠志郎
生誕 (1960-02-09) 1960年2月9日(64歳)
出身地 日本東京都
ジャンルJ-POP
シティ・ポップ
AOR
職業シンガーソングライター
作曲家
編曲家
ボイストレーナー
活動期間1986年 -
レーベルCBSソニー
→Sony Records

(1986年 - 1993年1997年
Kitty Records
→Kitty Enterprises

1994年 - 1996年
ベルウッド・レコード
2001年
シューツアンドトーン
2017年 - )
公式サイト ⇒オフィシャルウェブサイト

楠瀬 誠志郎(くすのせ せいしろう、1960年2月9日 - )は、日本シンガーソングライター作曲家編曲家ボイストレーナー、発声表現研究家[1]。レッスンスタジオ・Breavo-para主宰。東京都小金井市出身。実弟は、元サッカー選手、サッカー指導者の楠瀬直木
略歴

高校在学中にCMソングを手掛け、プロの音楽家としてキャリアをスタート[1]。学生時代に村上"ポンタ"秀一に弟子入りし、以後幅広くミュージシャンと親交を深めた。他のアーティストのコンサートツアーやレコーディングにコーラスとして参加する傍ら、自身の作曲や他者への楽曲提供も行うようになったく[1]

1986年にシンガーソングライターとして、CBS・ソニーからメジャー・デビュー。活動は主にアルバム制作と、ライブ(全国5大都市)がメインだった。

メジャーデビュー当初は、山下達郎のようなハーモニーを重視した楽曲が多かったが、3枚目のアルバム『aisA』(エイシア)以降、独自スタイルの楽曲を徐々に増やしていった。

1991年には通算10枚目のシングル「ほっとけないよ」が70万枚の大ヒットを記録、一躍その名を全国区にした[1]。以降“天使の歌声”とも言われる艷やかなヴォーカルと、主に優しく温もりのある楽曲などを制作・歌唱するく[1]

1994年のシングル『しあわせまだかい』が、TBSの昼ドラぽっかぽか』の主題歌に起用され、ドラマのシリーズ化もあり楽曲が広く愛された[1]

武部聡志を介して旧知の崎谷健次郎KATSUMIとともにコーラスグループ"adam"を結成、その楽曲は嶋政宏、崎谷、KATSUMIのアルバムに収録されている。日本の叙情歌、童謡、唱歌だけを歌うライブ「うたごよみ」の活動なども行う。音楽家としての活動の他に楽曲提供や編曲などの活動も行っている。

2000年頃に歌手業を休止し、ライブ活動から遠ざかった[1]

2006年、東京の表参道に自らの事務所であるレッスンスタジオ「こえの学校 Breavo-para」を設立・主宰し、以後ボイストレーナーとしても活動[1]

2012年夏から、歌手活動を再開。2013年夏、東京stb139でライブを行う。

2023年、発声表現研究家としてボイストレーニングの普及に力を尽くしている[1]
人物
作曲に対する考え方

父は声楽家の楠瀬一途(かずみち)で、日本におけるボイストレーニングの草分け的存在とも言われている[1]。3人兄弟の長男として生まれ、元々両親が“長男が生まれたら音楽の道を継がせよう”と考えていたため、幼少期から音楽の英才教育を受けて育った[1]

本人によると「幼い頃から父に『例えばコーヒーを見たら、これをどう音で表現したらいいか。誰かを見たら、この人をどう音に変えたらいいか』ということを教わった」という[1]。以降日常生活を送りながら「人や物が持つイメージを音に変換する」という癖が自然と身につき、この考え方は曲作りの基礎となった[1]

1980年代に楽曲提供するようになってからは、上記の考え方を踏まえた独特な作曲方法を取っている[1]。具体的には、アーティスト本人に会って声を聴き、相手の日常の話などを聞いてどういう人物かを知り、頭の中でイメージできた“響き”を実際の音に変換していくというもの[1]
自身が教えるボイストレーニング

父は、他の声楽家や役者など声のプロの人たちにボイストレーニングを指導してきたが、楠瀬が24歳の頃に亡くなった。死の間際の父から、「このボイストレーニングのメソッド(方法)を一般の人にも伝えなさい」と告げられた[1]

当時本人はシンガーソングライターとしてのキャリアは順調で歌手活動も続けたかったが、「40歳になったら父の後を継いでボイストレーニングの道に進もう」と決意[1]。40歳の誕生日を境に歌手活動を休止し、生前父から教わったボイストレーニングを一般人にも分かりやすく改良し、それを指導するための技術や知識を深めるのに4年間を費やした[1]

ボイストレーニングスタジオ「こえの学校 Breavo-para」ではオリジナル・メソッド「Breavo-paraメソッド」を用いて、声を扱うプロの人から一般の生徒まで幅広く門戸を開放している[1]。一般の生徒では教師や主婦、企業の管理職など幅広く、トレーニングを教わりたい動機も様々とのこと[注 1]
ディスコグラフィ
シングル

#発売日タイトルB面規格規格品番
CBS・ソニー
1st1986年4月21日宝島April rainに微笑みをEP07SH-1766
2nd1986年12月21日PARTY'S OVERMiss you07SH-1863
3rd1987年4月22日冒険者たちHighwayの憂うつ07SH-1917
4th1988年5月21日Crying In The SunASIAN VIEW07SH-3071
8cmCD10EH-3071
5th1989年9月21日まだ見えない海をさがしてるそうか!ふたり!そうか!10EH-3340
6th1990年4月8日天使達のLessonタンポポのお酒の栓あけたら ?リミックスヴァージョン-CSDL-3074
7th1990年9月21日季節がとうりすぎても一時間遅れの僕の天使CSDL-3159
一時間遅れの僕の天使季節がとうりすぎても
Sony Records
8th1991年6月21日来るなら来い生まれかわれそうな夏8cmCDSRDL-3299
9th1991年10月25日熱い風/いつも二人でSRDL-3387


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