楔形文字
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楔形文字


類型:表語文字 後に音節文字の要素も加わる
言語:シュメール語
アッカド語
エラム語
ヒッタイト語
ルウィ語
フルリ語
ウラルトゥ語
時期:紀元前3500年頃-紀元後1世紀
親の文字体系:(先文字時代)

楔形文字

子の文字体系:古代ペルシア楔形文字ウガリト文字
Unicode範囲:U+12000?U+1236E (シュメール=アッカド語楔形文字)
U+12400?U+12473 (楔形文字数字)
注意: このページはUnicodeで書かれた国際音声記号 (IPA) を含む場合があります。
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楔形文字(くさびがたもじ、せっけいもじ、シュメル語:gu-?um)とは、メソポタミア文明で使用されていた古代文字である。

筆記には水で練った粘土板に、葦を削ったペンが使われた。最古の出土品は紀元前3400年にまで遡ることができる。文字としては人類史上最も古いものの一つであり、古さでは紀元前3200年前後から使われていた古代エジプト象形文字に匹敵すると言われている。
楔形文字の呼称

楔形文字(cuneiform)という名称は、ラテン語の cuneus (くさび)と、forma (形)からなる造語であり、1712年のエンゲルベルト・ケンペル廻国奇観』の中で使われてから一般でも使用されるようになったとされている[1][2]オリエント学のうち、この文字を使用した文明・文化の研究は、一般に「アッシリア学」と呼ばれる。

楔形文字というのはあくまで文字の形状に注目した名称であり、実際には起源・系統の異なる多様な文字体系を含む。文字の種類としても、代表的なシュメール語アッカド語の文字は表語文字音節文字の組み合わせであるが、ウガリット文字アブジャドであり、古代ペルシア楔形文字アルファベットである。
歴史

ウルク文化期(紀元前3200年)にシュメール人によって絵文字としての性格が強いウルク古拙文字が発明されたが、長期間繰り返し使われるうちに、次第に単純化・抽象化されて、青銅器時代初頭(紀元前2500年)には約1,000文字のシュメール文字になり、青銅器時代末期(紀元前2000年)には約400文字(ヒッタイト語楔形文字)から約200文字(アッカド語楔形文字(英語版))になった。シュメール文字(英語版)はシュメール語に用いられる他、アッカド語(アッカド語楔形文字(英語版))、エラム語エラム語楔形文字)、ヒッタイト語ヒッタイト語楔形文字)、楔形文字ルウィ語に借用され、また古代ペルシア語古代ペルシア楔形文字)やウガリット語ウガリット文字)などに独自の文字の発達を促す役割をはたした。
文字の歴史

最初期の象形文字は、粘土板の上に縦の枠を設け、ペン、すなわちアシで作り先を尖らせた尖筆で書かれた。やがて文字は横書きになり、また先を楔形にした尖筆を粘土板に押し当てて書くようになった。

楔形文字の粘土板は長期記録用にで焼くこともでき、また残す必要がないなら再利用することもできた。考古学者が発見した粘土板の中には、粘土板のあった建物が戦乱で焼かれ、結果的に固く焼成されて保存されたものが多くある。

楔形文字は、本来シュメール人によってシュメール語記録のために発明されたもので、メソポタミア全域で3000年にわたって用いられた。しかし、次第に近隣の他の民族に借用され、アッカドバビロニアエラムヒッタイトアッシリアで楔形文字はそれらの民族固有の言語を書くのに用いられた。とはいえ、シュメール人が磨き上げた楔形文字本来の音節文字的な性格は、セム語族などの言語話者には使い勝手のよくない仕組みだった。この事実に多くの言語学者が促され、シュメール文明が再発見される以前から、バビロニア文明に先立つ文明の存在を仮定していた。

シュメール楔形文字の後世の借用は、少なくともシュメール文字のいくつかの特徴を保存している。アッカド語文献は、シュメール語の音節を表す音節文字と一語にまるごと対応する表語文字を含んでいる。楔形文字の多くの文字が、音節と意味の両価を示している (en:polyvalent)。楔形文字がヒッタイト語を書くのに借用されたとき、アッカド語の表語文字的な書き方が加えられ、その結果多くのヒッタイト語の単語が表語文字的に書かれたため、その音価を今日推定することはもはやできなくなった。音節文字と表語文字の複合した筆記システムの複雑さは、日本語の筆記システムの複雑さと比べることができる。日本語が漢字で書かれる場合は、ある文字は表音的で、ある文字は表意的に用いられ、文脈によって音価がまちまちに取られる。また、漢字から発展した純粋に表音的なカナもまた用いられる。楔形文字で書かれたヒッタイト語もまた同じような表記体系を持っていたのである。

楔形をしてはいるが、シュメール・アッカド文字と系統の異なるいくつかの表記体系が存在する。古代ペルシア楔形文字音素文字アルファベット)で、各文字の画数はアッシリア文字よりはるかに少ない。頻繁に使われる「神」や「王」といった語は表意化されている。ウガリット文字は楔形文字的方法で書かれた、標準的なセム語形式の文字(アブジャド)であった。

現在知られている楔形文字の最後の例は、紀元後75年に書かれた天文学上の記録である。
解読の歴史

1802年G.F.グローテフェントは、ペルセポリスの碑文の写本を利用し、古代ペルシア語の解読に努力した[1]

アッカド語楔形文字(英語版)の解読には、1621年に発見されたアケメネス朝ペルシャベヒストゥン碑文(磨崖碑文)が、ヘンリー・ローリンソンによって1835年に再発見され、利用された。ローリンソンはイギリス陸軍の士官で、ペルシアのベヒストゥンの崖でベヒストゥン碑文を発見し、そのいくつかを写し取った。碑文はダレイオス1世の治世下(紀元前522 - 486年)に刻まれており、ペルシア帝国の三つの公用語、古代ペルシア語古代ペルシア楔形文字)、アッカド語(アッカド語楔形文字(英語版))、エラム語(エラム楔形文字(英語版))で書かれた同一のテキストであった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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