楔形文字ルウィ語
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ルウィ語

カラテペの象形文字ルウィ語碑文
話される国アナトリア南部・シリア北部
話者数?
言語系統インド・ヨーロッパ語族

アナトリア語派

ルウィ語


表記体系楔形文字アナトリア象形文字
言語コード
ISO 639-3各種:
xlu — 楔形文字ルウィ語
hlu — 象形文字ルウィ語
'"`UNIQ--templatestyles-00000002-QINU`"'Linguist List ⇒xlu 楔形文字ルウィ語
  ⇒hlu 象形文字ルウィ語
Glottologluvi1235  Luvian[1]
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ルウィ語(ルウィご)はインド・ヨーロッパ語族アナトリア語派に属する言語紀元前16世紀から紀元前7世紀までの資料がアナトリア半島南部からシリアにかけての広い範囲に残っている。同じ語派に属するヒッタイト語と共通する点も多いが、はっきりと異なった言語である。
概要アナトリア語派のおおよその地理的分布

ルウィ語文書は2種類の文字で記されている。ひとつはヒッタイト語と同様の楔形文字で、もうひとつは独特のアナトリア象形文字で書かれている。この2つは分布、時代、内容において異なっており、言語にも違いがあるものの、同一の言語の方言の関係にある[2]。楔形文字資料はごく限られている。
楔形文字ルウィ語

楔形文字ルウィ語の粘土板ヒッタイト帝国の首都であるハットゥシャから発見されたが、1ダース程度しか存在せず、その内容はわずかな例外を除いて、病気治療や護国の祭儀に関するものである[3]。時代はヒッタイト語と同様に紀元前16-13世紀に属するが、大部分は紀元前14世紀以降のものである[2]。このほか、ヒッタイト語文書の中に多数のルウィ語の単語の引用とルウィ語からの借用語があるが、両言語が近い関係にあるために、ヒッタイト語固有の語彙とルウィ語からの借用語を区別するのは難しい[3]

1919年、エミール・フォラーは、「ボアズキョイ碑文の8つの言語」という論文を発表し、これらの粘土板の中にアッカド語ヒッタイト語のほかに、ヒッタイト語に近い言語としてルウィ語やパラー語があることを明らかにした[4]
象形文字ルウィ語「アナトリア象形文字」も参照

象形文字ルウィ語は大部分が石に刻まれており、記念碑的な内容を持つが、その中には長文の歴史的な内容を記したものもあり、また鉛板に書かれた書簡や経済関係の文書も残っている[5]。紀元前15世紀の印章が最古だが、大部分は名前と官位、および表意文字しか記されておらず、何語を書いたものか明らかでない[5]。紀元前14-13世紀にルウィ語とわかる少量の資料が残るが、大部分はヒッタイト帝国滅亡後の紀元前10-7世紀のものである[3]。資料はアナトリア半島南部や北シリアのものが主であるが、ボアズキョイを含むアナトリア中央部からも発見されている。

アナトリア象形文字による表記は楔形文字以上に制約が多く、音節末の子音を表すために余計な母音を加える必要がある。母音の a と i は多くの場合区別されない。また、子音の前の鼻音は表記されず、子音や母音の長短、子音の無声・有声などは区別せずに記される[6]

アナトリア象形文字は楔形文字より早く19世紀から知られており、アーチボルド・セイスが最初に解読の試みを行った[7]。実際の解読は1930年代にイグナス・ゲルブ、ピエロ・メリッジ、エミール・フォラーベドジフ・フロズニーらによって進められた[8]第二次世界大戦後の1947年にカラテペヘルムート・ボッセルトがアナトリア象形文字とフェニキア文字の2言語碑文を発見し、1970年代にジョン・デービッド・ホーキンズ、アンナ・モルプルゴ・デービス、ギュンター・ノイマンは文字の音価を大幅に変更した。この変更により、象形文字ルウィ語と楔形文字ルウィ語がきわめて近い言語であることが明らかになった[9]
音声

ルウィ語の母音は /a i u/ の3つであり、また長短を区別する。ヒッタイト語と異なって /e/ はなかった[10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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