この項目では、黒澤明監督作品について説明しています。この映画のリメイク版については「椿三十郎 (2007年の映画)」をご覧ください。
椿三十郎
Sanjuro
監督黒澤明
脚本黒澤明
菊島隆三
小国英雄
製作田中友幸
菊島隆三
出演者三船敏郎
仲代達矢
加山雄三
小林桂樹
志村喬
藤原釜足
土屋嘉男
田中邦衛
音楽佐藤勝
撮影小泉福造
『椿三十郎』(つばきさんじゅうろう)は、1962年(昭和37年)1月1日に東宝が封切り公開した日本映画(時代劇)である。監督は黒澤明。
白黒、東宝スコープ、96分。前年に公開された映画 『用心棒』の続編的作品とされる。
概要三船敏郎
東宝の正月映画だが、完成が遅れ元日の封切りとなっている(通常正月興行は年末から)。この作品は元々、かつて黒澤組のチーフ助監督であった堀川弘通の監督作品として黒澤が執筆した、山本周五郎原作の『日日平安』の脚本がベースになっている。『日日平安』は原作に比較的忠実に、気弱で腕もない主人公による殺陣のない時代劇としてシナリオ化されたが、東宝側が難色を示したため、この企画は実現しなかった。その後、『用心棒』の興行的成功から、「『用心棒』の続編製作を」と東宝から依頼された黒澤は、日の目を見ずに眠っていた『日日平安』のシナリオを大幅に改変し、主役を腕の立つ三十郎に置き換えて『椿三十郎』としてシナリオ化した(共同執筆は小国英雄と菊島隆三)。なお、黒澤は『日日平安』の主役には小林桂樹かフランキー堺を想定しており、『椿三十郎』で小林が演じた侍の人物像には『日日平安』の主人公のイメージが残っている。
ラストの三船と仲代の決闘シーンで、ポンプを使う手法で斬られた仲代の身体から血が噴き出すという特殊効果が用いられた。この手法自体はすでに『用心棒』で使われていたが、夜間シーンで画面が暗いことと出血の量が少なかったために『用心棒』では目立たなかった。今回ピーカン (快晴)で撮った『椿三十郎』での印象があまりにも強かったため、殺陣において最初にこの手法を採用した映画は『椿三十郎』だと一般に誤解されるきっかけとなった。とはいえ、血飛沫が噴き出す表現が、この映画以降の殺陣やアクションシーン等で盛んに模倣されるようになったのは事実である。他にも三十郎が、わずか40秒で30人を叩き斬るシーンなど殺陣の見所が多い。
本作はキネマ旬報ベスト・テン第5位にランクインされた。また、1999年にキネマ旬報社が発表した「映画人が選ぶオールタイムベスト100・日本映画編」では82位にランクインされた[注釈 1]。1995年にイギリスのBBCが発表した「21世紀に残したい映画100本」には『西鶴一代女』(溝口健二監督、1952年)、『東京物語』(小津安二郎監督、1953年)、『乱』(黒澤監督、1985年)、『ソナチネ』(北野武監督、1993年)とともに選出された。 黒澤明監督は、本作に登場する9人の若侍たちを時代劇ではなく現代の若者そのままで演らせたがり、本読みの段階でも本番さながらにカツラを着けメイクをし、衣装を着させてこれを行わせた。撮影に際しては、抜刀の場面がほとんどないにも拘らず真剣を帯びさせたため、撮影中に刀で自分の手を切った者もいた。 また、本読み後はそのままの姿で撮影所内をジョギングさせ、最後に小道具係の作った藁人形に向かって抜刀して走り、これを斬り倒させ、これを連日繰り返させた。この光景を見た他の組の連中からは「9人の馬鹿侍」などとひやかされたという。 オープンセットで若侍の4人が敵の捕虜になる場面では、後ろ手に縛られたまま忘れられて長時間放置され、騒いでやっと縄を解いてもらった。土屋嘉男が「こりゃあ監督のおごりでチャーシュウメンの一杯も食わせてもらわにゃなあ」とぼやくと、しばらくして本当にチャーシュウメン(チャーシューメン)の出前が来た。空腹を抱えた他の俳優全員、中でも「チャーシュウメンが大好きで、年がら年中昼飯がチャーシュウメン」という三船敏郎が凝視する中、4人は居直ってこれをたいらげた。翌日、黒澤監督は土屋に「昨日三船に怒られちゃったよ、若侍を甘やかしすぎですって」と告げたという[2]。 また、一方で切られ役の20人以上が、2月の寒中で血糊をかぶったまま横たわっているのを知りながら、夜食にラーメンを食べていた加山雄三や田中邦衛ら若手侍役を、三船は次の撮影の殴打シーンのときに本気で殴ったという。彼らだけが暖かい思いをしていたことを叱責する意図だった[3]。 撮影が終わると、黒澤監督はお気に入りの役者だけを集めて夕食を採ったが、食後はいつも必ず『聖者の行進』と『かっこうワルツ』を合唱させられるので、全員これに飽きてしまった。ある晩、監督が便所に立った隙に大方が逃げてしまい、土屋と田中邦衛と新人の3人だけが捕まって、部屋で別れの芝居の練習を命じられた。三人は部屋で練習するうち監督の物真似大会となってしまい、これを監督本人に見られて怒らせてしまった。翌日のロケでも黒澤監督は不機嫌なままで、田中は「これでもうこれっきりになっちゃった」と落ち込んでいたという[注釈 2]。 ラストの三十郎と半兵衛の決闘では、斬られた半兵衛がポンプ仕掛けで血飛沫を飛ばすが、最初のカットでは「血の噴水」が遅れてNGとなり、一同大爆笑となった。2度目のテイクでOKとなったが、この血飛沫は公開後、「はたしてあそこまで血が噴出するものか」と、観客の間で医者まで巻き込む大論争となった。土屋もこの場面については、「ちょっと、血が出過ぎたみたい……」と感想を述べている[4]。 本作では三十郎が30人の相手を次々と斬り倒す場面があるが、これは前作『用心棒』の「7人」よりさらに殺陣をエスカレートさせたもので、この「瞬時に、何秒間に何人」という指示は黒澤監督から直接、殺陣担当の久世竜に出たものだった。久世は「そうでないと話がこわれてしまうから、という命令なんです」とこのときの様子を語っている。望遠レンズで撮るため、実際には30人のところを40人斬らなければリアルさが出ず、久世の苦労は並大抵のものではなかった[5]。 黒澤明監督は昭和29年の『七人の侍』を皮切りに時代劇にリアルさを求めていた。前年の『用心棒』、そして本作ではリアル志向がさらに強まり、立ち廻りの場面で、刀がぶつかり肉が斬れる激しい効果音、飛び散る血飛沫が描かれた。こういったリアルな描写は、敗戦までは日本当局によって、そして戦後はGHQによって禁止され、検閲でカットされてきたものであり(→日本における検閲)、黒澤がこれを描いて以後、黒澤の手法を真似たチャンバラ映画が続出することとなった。 ところが、『椿三十郎』以降の日本の時代劇映画で黒澤の手法を用いた描写が流行してしまったため、一時は欧州の新聞が映画祭のルポで、「日本の時代劇のヘモグロビンの噴射は、もうたくさんだ!」などとして悪口を書きたて、この種の時代劇作品が「ヘモグロビン噴射剤」などと皮肉を込めて呼ばれることとなってしまった。これに黒澤監督は強い罪悪感を抱き、「人を斬る音と、血の噴出を日本の時代劇で流行させてしまった本家本元は、自分だ」と言って、本作『椿三十郎』の後、黒澤監督は派手な殺陣をみせる豪快なチャンバラ映画を作らなくなってしまった。『赤ひげ』での乱闘は武道を使った素手によるもので、これは黒澤の反省の表れだった[6]。 作品の象徴である「赤いツバキ」はスタッフがモノクロの画面の中で、どんな色にしたら本当に赤であるように見えるか、と研究した結果、赤いものより黒く塗ったもののほうがモノクロの映像では赤であるかのように見えたため、撮影現場で黒く塗ったものである。また、モノクロの中で赤い椿だけカラーで写す構想があったが、技術的問題で実現しなかった。しかし、翌年の『天国と地獄』で煙突から桃色の煙が出るシーンでその念願を叶えた。[要出典] 真夜中の森の中。古びた社殿に集まった若侍たちは藩内の汚職の元凶である次席家老 心強い味方ができたと喜ぶ若侍たちの前へ拝殿の奥からひとりの浪人が現れた。謀議を聞かれたと緊張する一同だが、たまたま無賃のため陋屋で寝ていた男は、藩内を監察する役目でありながら揉め事を煽る菊井が可怪しいと指摘。半信半疑の井坂たちから、今日はこの場所で菊井と面会する約束だと聞かされた浪人は壁の隙間から向こうを伺うと、周りは汚職の黒幕だった菊井の手下で囲まれていた。 自暴自棄となり斬り込もうとする若侍たちを隠れさせ、浪人はわざと菊井の手下連中に喧嘩を売り注意を逸らす。度胸と腕を見せた相手に、菊井の腹心である室戸半兵衛は、仕官したければ訪ねて来いと言ったあとで仲間に引き上げを命じた。
エピソード
あらすじ