椹木野衣
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さわらぎ のい
椹木 野衣
生誕 (1962-07-01)
1962年7月1日(61歳)
日本埼玉県秩父市
国籍 日本
出身校同志社大学文学部文化学科 卒業
埼玉県立秩父高等学校 卒業
職業美術評論家編集者キュレーター
代表作

『日本・現代・美術』(新潮社/1998)

『増補シミュレーショニズム』(ちくま学芸文庫/2001)

『戦争と万博』(美術出版社/2005)

『反アート入門』(幻冬舎/2010)

『震美術論』(美術出版社/2017)

配偶者山本ゆうこ[1]
受賞

第25回吉田秀和賞(2015年)[2]

芸術選奨文部科学大臣賞(2018年)[3]

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椹木 野衣(さわらぎ のい、1962年7月1日 - 、男性)は、日本美術評論家[4]多摩美術大学美術学部教授、芸術人類学研究所所員。[5]美術評論家連盟会員(常任委員)[6]。本名非公開。

90年代の文化動向を牽引した『シミュレーショニズム』(1991年)、戦後日本を「悪い場所」と称した『日本・現代・美術』(1997年)など、斬新な美術批評で知られる。他の著書に『戦争と万博』(2005年)、『反アート入門』(2010年)など。
経歴

埼玉県秩父市出身。埼玉県立秩父高等学校[7]同志社大学文学部文化学科を卒業後、美術手帖編集部で編集者として勤務。雑誌での執筆などを経て1991年に初の評論集『シミュレーショニズム ハウス・ミュージックと盗用芸術』(洋泉社)を刊行。シミュレーション・アートハウス・ミュージックを〈サンプリングカットアップリミックス〉というキーワードで横断的に論じ、1990年代以降の文化の動向を予見した。[8]また、1991年には株式会社アウトバーンを設立。クラブカルチャーマガジン、『Remix』などの雑誌を伊藤ガビンらとともに創刊した。[9]

1992年にはレントゲン藝術研究所で展覧会『アノーマリー』を企画、キュレーターとしてもデビューし、村上隆ヤノベケンジを美術界の新しい波として紹介した。1995年には『アノーマリー』の続編としての『909-ANOMALY2』を企画。[10]

1995年阪神淡路大震災と「地下鉄サリン事件」をきっかけに以後は戦後日本美術の論考に転じ、1998年に『日本・現代・美術』(新潮社)を刊行。戦後日本には「歴史」がなく、蓄積なき忘却と悪しき反復を繰り返す「悪い場所[11]」であると論じ大きな波紋を起こした。

2005年にはその続編というべき『戦争と万博』を刊行。大阪万博における「万博芸術」と太平洋戦争における戦争画の類似性を、国家によるプロパガンダへの芸術家の総動員の観点から論じた。

2007年には『戦争と美術1937-1945』(国書刊行会)を針生一郎らと共同編集し刊行、展覧会での一括公開がない戦争記録画の公開を進めた。2015年会田誠との共著『戦争画とニッポン』(講談社)、責任編集「日本美術全集19巻 拡張する戦後美術」(小学館)を刊行。

東日本大震災の直前より長篇評論「後美術論」の連載を『美術手帖』誌上で開始、2015年に『後美術論』(美術出版社)を刊行し、第25回吉田秀和賞受賞。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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