椎名誠
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誕生 (1944-06-14)
1944年6月14日(79歳)
東京都世田谷区
職業

作家

随筆家

映画監督

写真家

編集者

言語日本語
国籍 日本
代表作

さらば国分寺書店のオババ

『哀愁の町に霧が降るのだ』

わしらは怪しい探検隊

岳物語

アド・バード

主な受賞歴

吉川英治文学新人賞(1989年)

日本SF大賞(1990年)

山路ふみ子映画賞(1993年)

JRA賞馬事文化賞(1995年)

EARTH VISION 地球環境映像祭(1996年)

日本映画批評家大賞(1996年)

デビュー作『さらば国分寺書店のオババ』(情報センター出版局1979年
配偶者渡辺一枝
子供.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

渡辺岳

渡辺葉

公式サイト ⇒椎名誠 旅する文学館
ウィキポータル 文学
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椎名 誠(しいな まこと、1944年6月14日 -)は、 東京写真大学中退。流通業界誌編集長を経て、作家、エッセイスト。『さらば国分寺書店のオババ』でデビューし、その後『アド・バード』(日本SF大賞)『武装島田倉庫』『銀天公社の偽月』などのSF作品、『わしらは怪しい探検隊』シリーズなどの紀行エッセイ、『犬の系譜』(吉川英治文学新人賞)『岳物語』『大きな約束』などの自伝的小説、『犬から聞いた話をしよう』『旅の窓からでっかい空をながめる』などの写真エッセイと著書多数。映画『白い馬』では、日本映画批評家大賞最優秀監督賞ほかを受賞した。

また日本各地、世界各地の特に辺境に頻繁に赴き、多くの旅行記と映像記録を発表しており、紀行作家、旅行家としての面も大きい。
経歴

1944年、東京都世田谷区三軒茶屋に5人兄弟の三男として生まれる[1]。父親は公認会計士[1]。1950年より千葉県印旛郡酒々井町千葉市幕張に転居[1]千葉市立幕張小学校を卒業[2]

1956年、父が死去[1]。翌年に千葉市立幕張中学校入学[2]。「父親が死ぬとグレなければならないという奇妙な使命感」から不良を目指し始める[1]。中学時代は喧嘩に明け暮れる[1]。1960年、中学校を卒業し千葉市立千葉高等学校に入学[1]

1963年、千葉市立千葉高等学校卒業[1]同人誌『幕張じゃーなる』創刊[1]

1964年、東京写真大学(現・東京工芸大学)に入学[1]。同人誌『斜めの世界』創刊[1]

1965年、友人の車に同乗中の事故により重傷を負う[1]。東京写真大学を中途退学[1]。代々木の演劇学校に脚本の勉強に通う[1]。同人誌『フモリスト』創刊[1]。同年秋より江戸川区小岩のアパート克美荘で、高校時代の同級生である沢野ひとし[3]、沢野の中学時代の同級生である木村晋介らと約2年間の共同生活を行う[4][5]

1966年、流通業界の専門誌『ストアーズレポート』を刊行しているデパートニューズ社(現・ストアーズ社[注 1]に入社。デパート業界を対象とした業界誌『調査月報』の編集を任せられる[1]

1968年、渡辺一枝と結婚、東京都小平市に転居[1]ガリ版誌『月刊おれの足』創刊[1]

1969年、デパートニューズ社より『ストアーズレポート』を創刊[1]。編集長に就任[1]

1974年、8ミリにてドキュメンタリー作品『神島でいかにしてめしを喰ったか…』を製作[1]小金井市の8ミリ同好会に参加し、8ミリ映画の製作にのめり込む[1][6]

1976年、目黒考二らと『本の雑誌』創刊号発行[1]

1977年、『本の雑誌』5号の巻頭エッセイとして「さらば国分寺書店のオババ」を執筆[1]。7月、同誌の編集権が目黒考二から椎名に移る[1]

1977年ごろ、『本の雑誌』の経費を稼ぐために、「エロ漫画の原作」のアルバイトを目黒と共同で行っていた。椎名がストーリーを考え、目黒が台本化する形式で、月4、5本は書いていたという[7]

1979年、『さらば国分寺書店のオババ』でエッセイストとしてデビューする[1]

1980年、7月に目黒考二、沢野ひとし木村晋介と株式会社本の雑誌社を設立。12月、ストアーズ社を退職しフリーになる[1]。その後は私小説SF小説エッセイルポルタージュ、写真集などを多数発表。

1987年、株式会社椎名誠事務所設立[1]


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