この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。
出典検索?: "植草朋樹"
うえくさ ともき植草 朋樹
プロフィール
出身地 日本 兵庫県神戸市
生年月日 (1966-03-10) 1966年3月10日(58歳)
血液型B型
最終学歴慶應義塾大学
勤務局テレビ東京
部署総合編成局 アナウンス部[1]
職歴RKB毎日放送(1990年 - 2002年)→テレビ東京アナウンサー・担当部長
活動期間1990年 -
ジャンル情報
著名な家族植草貞夫(父)
植草結樹(兄)
植草凛(甥)
公式サイトテレビ東京 植草朋樹
出演番組・活動
出演中スポーツ
出演経歴『激生!スポーツTODAY』『歌謡曲ヒット情報』(RKB)
アナウンサー: テンプレート - カテゴリ
植草 朋樹(うえくさ ともき、1966年3月10日 - )は、テレビ東京のエグゼクティブアナウンサー。
来歴・人物
兵庫県神戸市出身。父は元朝日放送アナウンサーの植草貞夫で、長兄はテレビ大阪アナウンサーの植草結樹。母も元朝日放送アナウンサーだったが、1998年に死去した。また、沖縄テレビアナウンサーの植草凛は甥(長兄の息子)にあたる。また、凛の弟の植草峻(長兄の次男)もRKB毎日放送(自身がかつて所属した放送局)にアナウンサーとして2023年に入社した。
趣味はハード・ロックバンドの楽曲を聴くこと。
慶應義塾志木高等学校を経て[2]、1990年、慶應義塾大学卒業後、RKB毎日放送に入社。『RKBエキサイトナイター』や別府大分毎日マラソン等スポーツ中継の実況を数多く務めた。またRKBが制作した2000年の日本シリーズ『福岡ダイエーホークス対読売ジャイアンツ』第5戦の中継では実況も務めた。この他、長寿ラジオ番組『歌謡曲ヒット情報』も一時期担当している。
2002年にテレビ東京へ移籍してからも、主にスポーツ中継を担当。2021年2月の時点では、局内で最年長・最長キャリアのアナウンサーである[3]。
実兄の結樹も系列局(テレビ大阪)のスポーツアナウンサーで、2020年1月の定年(60歳)到達後も嘱託契約でアナウンサーとしての活動を続けているため、テレビ東京制作のプロ野球中継へテレビ大阪が関与する場合に「兄弟共演」を果たしたことが何度もある。
初めての共演は、2002年の日本ハムファイターズ対大阪近鉄バファローズ戦(東京ドーム)中継で、自身が実況、結樹が近鉄側のベンチリポートを担当した。
2003年の日本シリーズ第7戦(福岡ドームでの福岡ダイエーホークス対阪神タイガース)中継では、朋樹がダイエー側、結樹が阪神側のベンチリポートを担当。ダイエーがこの試合の勝利によってシリーズ制覇を決めたため、試合後には、朋樹が報道陣を代表して王貞治(当時のダイエー監督)に優勝監督インタビューを担当した。
TXNでは2年ぶり4度目(全国ネット化以降は2回目)の日本シリーズ中継であった2005年の日本シリーズ第2戦(千葉マリンスタジアムでの千葉ロッテマリーンズ対阪神タイガース戦)では、自身が実況、結樹が阪神側のベンチリポートを担当。実父の貞夫も朝日放送への在籍中に、阪神が進出した1985年の日本シリーズにおいてセ・リーグ(阪神)側主催試合(阪神甲子園球場)のテレビ中継(同局がテレビ朝日系列の全国ネット向けに制作)で実況していたため、「親子2代にわたる日本シリーズ・テレビ中継での実況」が初めて実現した。
2021年の日本シリーズ第2戦(京セラドーム大阪でのオリックス・バファローズ対東京ヤクルトスワローズ戦)では、TXNで放送権を確保していた中継にテレビ大阪が「オリックスの地元局」として初めて協力したことから、自身が実況を担当。テレビ大阪の定年到達前年(2019年)にスポーツ中継の現場から離れていた結樹が、オリックス側のベンチリポーターを務めた。
2023年の日本シリーズ第2戦(京セラドームでのオリックス・バファローズ対阪神タイガース戦)でも自身が実況を担当。
2005年から始まった日本版プロ野球交流戦でTXN結成後初めて行われた読売ジャイアンツ戦ビジターゲーム4試合の実況を全て担当。
2007年の日本シリーズで、テレビ東京史上初の日本シリーズ2試合中継の際、両試合の実況を務めた。
2011年6月24日付でアナウンス副部長よりチーフアナウンサーに昇格した[4]。
植草の後輩で、2016年にテレビ東京に中途入社した福田典子も、RKBから移籍している。
ジャパンコンソーシアム(JC)が制作する夏季オリンピックの日本国内向けテレビ中継では、テレビ東京への移籍後に、アテネ(2004年)・北京(2008年)・ロンドン(2012年)の3大会連続で実況を担当していた。リオデジャネイロ大会(2016年)ではJCへの派遣が見送られたものの、2021年夏季開催の東京2020オリンピックで再び派遣。実父の貞夫も朝日放送のスポーツアナウンサー時代に1964年東京オリンピックでテレビ中継(陸上男子100m決勝など)の実況を担当していたため、日本の放送局に勤務するアナウンサーとしては初めて、「親子2代にわたる東京オリンピック中継の実況」に至った。実際には卓球と男子テニスで中継の実況を担当したが、実兄の結樹はジャパンコンソーシアムへの非派遣局に勤務してきたため、オリンピック中継の実況自体を経験していない[5]。
2021年大会までは『全仏オープンテニス』の実況も担当していた。