植木
大字
植木128番所在、陽谷山龍寶寺
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度20分58秒 東経139度30分48秒 / 北緯35.349308度 東経139.513369度 / 35.349308; 139.513369
国 日本
都道府県 神奈川
市町村 鎌倉市
地域玉縄地域
人口情報(2023年(令和5年)9月1日現在[1])
人口5,135 人
世帯数2,233 世帯
面積([2])
0.69 km²
人口密度7442.03 人/km²
郵便番号247-0073[3]
市外局番0467(藤沢MA)[4]
ナンバープレート横浜
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植木(うえき)は、神奈川県鎌倉市の大字。旧鎌倉郡植木村。住居表示未実施区域[5]。 住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、植木字植谷戸156番3の地点で14万3000円/m2となっている[6]。 古くは玉縄村の一部だったようだが、元禄年間(1688年?1704年)に独立した村となった。 後北条氏が支配していた時期の植木は、玉縄城の城下に位置する事、藤沢?鎌倉間を結ぶ往還が植木内を走っていた事、龍寶寺など後北条氏ゆかりの寺院などがある事、天正年間(1573年?1592年)には大筒を鋳造可能な鍛冶屋が存在した事[7]などから、既に町が形成されていたものと推定されている。 後北条氏滅亡後は一時徳川氏の直轄領をへて、玉縄藩領となる。玉縄藩廃藩後は再び天領となるが、1711年(正徳元年)には新井白石に与えられる。同年来日した朝鮮通信使が鎌倉近辺を訪問した際、村内の龍寶寺が宿舎として使われた。 1882年(明治15年)に玉縄小学校が龍寶寺境内に移転[8]する。 1889年(明治22年)に玉縄村と再び合併し植木は大字になった。 後北条氏によって玉縄城が築城された際に城を防衛するために多数の樹木を植林した事に由来すると伝わる。植木という地名が現存する史書によって初めて確認できるのは1589年(天正17年)に後北条氏が発給した朱印状[7]である。 2023年(令和5年)9月1日現在(鎌倉市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
地理及び村岡東に接している。
地価
歴史
地名の由来
文化財旧石井家住宅(龍寶寺境内)
遺跡・旧跡
平戸山縄文遺跡
大船捕虜収容所跡(横須賀海軍警備隊植木分遣隊)
文化財
旧石井家住宅(龍寶寺境内所在、国の重要文化財[9])
世帯数と人口
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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