森高千里
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森下千里」とは別人です。

森高 千里
出生名森高 千里
生誕 (1969-04-11) 1969年4月11日(55歳)
日本大阪府茨木市
出身地 日本熊本県[1][2]
学歴堀越高等学校卒業
ジャンルニューミュージック
J-POP
ロック
担当楽器ボーカル
ドラムス
ギター
ベース
キーボード
リコーダー
スチールパン
活動期間1987年 - 1999年(メジャーデビュー - 歌手活動休止)
2000年 - 2011年(育児優先期間)
2012年 -(歌手活動再開 - )
レーベルワーナー・パイオニア
(1987年 - 1991年)
ワーナーミュージック・ジャパン
(1991年 - 1993年)
ワン・アップ・ミュージック[注 1]
(1993年 - 1998年)
Zetima[注 2]
(1998年 - )
配偶者江口洋介1999年 - )
事務所アップフロントプロモーション[注 3]
(1987年5月 - 2013年9月)
アップフロントクリエイト
(2013年10月 - )
共同作業者斉藤英夫
高橋諭一
伊秩弘将
公式サイト ⇒森高千里 オフィシャルサイト

森高 千里(もりたか ちさと、1969年4月11日 - )は、歌手シンガーソングライターマルチプレイヤー血液型はO型である。身長161cm

1987年に歌手としてメジャー・デビューを果たした。その後、様々な楽器(ドラムギターだけに留まらず、時にはスチールパンまで)に触れながら表現手法を拡張し続け、現在ではライブ活動を中心に、雑誌連載や音楽番組のMCなど多様な分野で才能を発揮して活動している。所属事務所はアップフロントクリエイト

実父はロカビリーバンド「オレンジ・ヒル」で活動していた森高茂一、夫は俳優の江口洋介
経歴

1969年大阪府茨木市に生まれる[3]。幼少時に一家で熊本県熊本市に移る。
1980年代

九州女学院在学中に「ル・パラディ」を結成してバンド活動を始める[4]ボーカルではなく、ドラムベースギターを担当していた[4]。高校を卒業したら熊本でピアノの先生になるつもりだったという[5]。1986年夏、大塚製薬が主宰した「第1回ポカリスエット・イメージガールコンテスト」でグランプリを受賞[5]。同コンテストで審査員を務めていた糸井重里とCMで共演[6]。同年冬に芸能活動を本格化させるため上京。堀越高等学校に編入する。

1987年春、東宝映画あいつに恋して』(同年5月30日公開)にヒロイン・松前千里役で出演、同年5月25日に同映画の主題歌「NEW SEASON」で歌手デビュー[7]。当初は女優・タレント活動と両立して歌手活動を行っており、芸能界デビュー後初めてのレギュラー番組はTVハッカー。同年9月7日の渋谷LIVE INNでの初ライブをきっかけに徐々に歌手活動に重きを置くようになる。

1988年、アルバム『ミーハー』のタイトルトラック「ミーハー」で初めて作詞を手掛ける[7]。同年夏、ツアーのリハーサル中に腹痛で1週間の入院生活を余儀なくされ、それを機に女優・タレント業との並行活動を断念し、歌手活動に専念することになった[3]。この時期の入院体験をもとに「ザ・ストレス」を書き[6]、歌詞のユニークさを注目されて以降、ほぼ全ての作詞を自ら手掛けるようになる。また同作のPVで、森高千里の代名詞となる「コスプレ」が初登場。

1989年、南沙織の楽曲のリメイク「17才」がヒット[3]。また、『非実力派宣言』や1990年リリースの『古今東西』などの作品で、個性的な作詞センスが高く評価されるようになる。
1990年代

1992年のアルバム『ROCK ALIVE』からのシングルカットとなる「私がオバさんになっても」が話題を呼び、『ROCK ALIVE』ツアー(女性ミュージシャンとしては2組目となる全都道府県制覇ツアーを敢行した[6]。森高はこのツアーの際に「ロックンロール県庁所在地」という曲を作り上げている。)では、コンサート会場で森高と同じ衣装を作ってコスプレする女性客の姿も見られた。同年11月のアルバム『ペパーランド』からは大半の曲で自ら楽器演奏(ギター・ベース・ピアノ・ドラム等)をするようになり、それまでの打ち込み主体のサウンドから生音主体のサウンドへと路線の転換を図った。またコンサートでもこれらの楽器をそれぞれ演奏しながら歌っていた。

1993年のシングル「渡良瀬橋」「風に吹かれて」のヒットでその路線を確立するが、1994年、顎関節症のため予定されていた全国ツアーをキャンセルし、2年間のコンサート休業を余儀なくされた[7]。この間、ミュージックステーション上で病状をファンに報告して話題になった。ツアーが出来ない時期には子供番組『ポンキッキーズ』で「ロックン・オムレツ」を披露してファン層の拡大に努め、凝ったPVを制作したり、チャリティライブに参加するなど多彩な活動を行った。

1995年、阪神・淡路大震災支援イベントで泉谷しげるのバンドに参加しドラムを担当したが、この時江口洋介がベースギターを担当していた[3]。1997年、1998年にローソンのCMシリーズで細野晴臣と夫婦役で共演し[3]、のちにコラボレーション・アルバム『今年の夏はモア・ベター』を発表。1999年には出身地である熊本県で開催されたくまもと未来国体のテーマソング「未来」を制作した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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