森雅之_(俳優)
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もり まさゆき
森 雅之
1955年撮影
本名有島 行光
ありしま ゆきみつ
生年月日 (1911-01-13) 1911年1月13日
没年月日 (1973-10-07) 1973年10月7日(62歳没)
出生地 日本北海道札幌郡上白石村
(現:北海道札幌市白石区
身長165 cm
職業俳優
ジャンル演劇映画テレビドラマ
活動期間1931年 - 1973年
配偶者堀越節子(1939年 - 1946年)
吉田順江
著名な家族祖父:有島武
祖父:神尾光臣
父:有島武郎
母:有島安子
叔父:有島生馬
叔父:里見ク
妾:梅香ふみ子
娘:中島葵
主な作品
映画
安城家の舞踏会
羅生門
雨月物語』(1953年)
白痴
浮雲
悪い奴ほどよく眠る

 受賞
毎日映画コンクール
男優演技賞
1947年『安城家の舞踏会』
男優助演賞
1960年おとうと』、『悪い奴ほどよく眠る』

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森 雅之(もり まさゆき、1911年1月13日 - 1973年10月7日)は、日本の俳優北海道札幌郡上白石村(現在の札幌市白石区)生まれ、東京都出身。身長165cm[1]。父は小説家有島武郎。本名?有島 行光(ありしま ゆきみつ)。
略歴
生い立ち

1911年、当時札幌で教員を務めていた有島武郎と、陸軍大将・男爵神尾光臣の娘でもある母安子のもとに、長男として生まれる。他に弟が2人いた。

3歳まで札幌で過ごしたが、1914年に母が結核を発病し名医の治療を受けるため[2]、旧旗本屋敷だった東京麹町の有島邸に家族揃って転居。しかし1916年には母を病気で亡くし、1923年には父・有島を心中で失い、弟2人と共に叔父の有島生馬らの下で育てられる。

1922年に番町小学校から成城小学校に転校し、1931年に旧制成城高等学校を卒業、1931年に京都帝国大学文学部哲学科美学美術史専攻に入学するが中退。中退については、「翌年胸部のカリエスに罹ったことでその後4年間の闘病生活を送ることが理由」とするもの、または「役者になりたいという気持ちが強くなり学業より芝居を選んだため」とするものがある[2]
演劇の道へ

1925年築地小劇場を見学して感銘を受けた[2]ことで成城高等学校時代から舞台俳優を志す。1930年に同劇団の『勇敢なる兵卒シュベイクの冒険』にエキストラ出演する。

1931年、慶応仏文の金杉惇郎、フランス帰りの長岡輝子を中心に都会派のモダンな学生劇団「テアトル・コメディ」が結成され、参加。第1回公演から芸名の'森 雅之を名乗り始め、『芝居は誂向き』などの演技で将来を嘱望されるが、この頃胸部のカリエスに罹り4年間ほど闘病生活を送った。

病気治癒後の1937年岸田国士岩田豊雄らの文学座の結成に加わり[3]、本格的に役者で身を立てる決心をする。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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