もり しげふみ森 重文
文化勲章受章に際して
公表された肖像写真
生誕 (1951-02-23) 1951年2月23日(73歳)[1]
愛知県名古屋市[2]
居住 日本
アメリカ合衆国
国籍 日本
研究分野数学
研究機関京都大学
ハーバード大学
名古屋大学
出身校京都大学理学部卒業
京都大学大学院
理学研究科修士課程修了
指導教員永田雅宜[2]
主な業績代数幾何学の研究
影響を
受けた人物広中平祐[2]
主な受賞歴彌永賞(1983年)
中日文化賞(1984年)
秋季賞(1988年)
井上学術賞(1988年)
フィールズ賞(1990年)
コール賞(1990年)
日本学士院賞(1990年)
藤原賞(2004年)
プロジェクト:人物伝
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フィールズ賞受賞者
受賞年:1990年
受賞理由:「三次元代数多様体の極小モデルの存在証明」。
森 重文(もり しげふみ、1951年〈昭和26年〉2月23日[1] - )は、日本の数学者(代数幾何学)。文化功労者。文化勲章受章者。学位は、理学博士(京都大学・1978年)(学位論文『The endomorphism rings of some abelian varieties〈幾つかのアーベル多様体の自己準同型環〉』)。京都大学名誉教授。日本学士院会員。
京都大学理学部助手、ハーバード大学助教授、名古屋大学理学部教授、京都大学数理解析研究所教授、京都大学数理解析研究所所長、京都大学高等研究院研究院長などを歴任した。 愛知県名古屋市出身の数学者である。代数幾何学における双有理幾何学を専攻する。代数幾何学での業績により、1990年にフィールズ賞を受賞した。名古屋大学教授、京都大学数理解析研究所教授・所長、名古屋大学特別教授、京都大学高等研究院特別教授・研究院長を歴任した。ハーバード大学、プリンストン高等研究所、マックス・プランク研究所、コロンビア大学など、日本国外での研究経験も豊富であった。数学分野での国際的な協力を行う非政府組織であり、国際数学者会議の主催団体である国際数学連合の総裁にアジア人としては初めて選出された[3][4]。 「接束が豊富なら射影空間である」というハーツホーンの予想を解決した論文[5]は、代数多様体の構造論における最初の一般的な定理として歴史に刻まれるものであり、そこで開発された証明の技法がさらに洗練され「端射線の理論」となった。これは代数多様体および有理写像の構造の研究に有力な手段を与えるもので、これにより2次元の壁を乗り越えて高次元代数多様体の構造を解明することが可能になった。森理論の発表、3次元ファノ多様体の研究など高次元代数多様体の研究に新しい視点を提供した。これらの業績により、1983年のワルシャワでのICMの招待講演に招聘された。
概要
研究