森繁和
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森 繁和中日ドラゴンズ一軍バッテリーチーフコーチ時代
(2009年7月16日、阪神甲子園球場にて)
基本情報
国籍 日本
出身地千葉県長生郡一宮町
生年月日 (1954-11-18) 1954年11月18日(69歳)
身長
体重181 cm
81 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1978年 ドラフト1位
初出場1979年4月9日
最終出場1988年9月8日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


科学技術工業高等学校

駒澤大学高等学校 ※先述の学校が廃校となり、高校野球引退後に転入

駒澤大学

住友金属

西武ライオンズ (1979 - 1988)

監督・コーチ歴


西武ライオンズ (1989 - 1999)

日本ハムファイターズ (2000 - 2001)

横浜ベイスターズ (2002 - 2003)

中日ドラゴンズ (2004 - 2011, 2014 - 2018)

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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

森 繁和(もり しげかず、1954年11月18日 - )は、千葉県長生郡一宮町出身の元プロ野球選手投手)・コーチ監督解説者評論家

マネジメント契約先は吉本興業グループの芸能事務所よしもとクリエイティブ・エージェンシー[注 1]

愛称は「モリシゲ」[3]
経歴
プロ入りまで

市原市の科学技術工業高校[注 2][4]では2年次の1971年からエースとなり、夏の県大会ベスト8。3年次の1972年では春の千葉県大会2日目に八千代高から16奪三振を記録するが、同日には成東高鈴木孝政市川工戦で16奪三振をマーク[4]。同年に廃校が決定するが、夏の千葉大会佐倉高に敗退後、同大会で審判の判定に不服を訴えて抗議した様子が駒澤大学藤田俊訓学監の目に留まり[4]駒大高校へ転校。既に高校野球を引退していたため大学の練習に参加していたという。

卒業後の1973年駒澤大学へ進学し、東都大学野球リーグでは在学中5度の優勝を経験。3年次の1975年は春秋季連続優勝を果たし、同年の大学選手権でも、決勝でエース斉藤明雄を擁する大阪商業大学を破って優勝。秋の明治神宮大会では決勝戦で6回から登板し、無失点に抑えたがチームは明治大学に敗れて準優勝。4年次の1976年春季リーグでは、同期の大宮龍男とバッテリーを組み、8勝を挙げる活躍で最高殊勲選手、最優秀投手、ベストナインを受賞。同年の大学選手権1回戦で近畿大学工学部[注 3]を相手に完全試合を達成するが、準決勝で大阪商業大学に敗退、敗者復活戦でも東海大学に敗れた。一方、同年の第5回日米大学野球選手権大会日本代表に選出された。秋の明治神宮大会では初戦で法政大学江川卓と先発で投げ合うが敗れた。リーグ通算41試合に登板し18勝9敗、防御率2.11、191奪三振。駒大時代は合宿所近くのアパートで上級生の部屋子を務めたことにより、料理を作るのが上手く、中華料理も得意で、上級生にモテていた[4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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