森田拳次
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盛田賢司」あるいは「森田健司」とは別人です。

森田 拳次
本名同じ
生誕 (1939-05-11) 1939年5月11日(85歳)
東京都
国籍 日本
職業漫画家
活動期間1957年 -
ジャンルギャグ漫画
家庭漫画、
風刺漫画
代表作『丸出だめ夫
ロボタン』 他
受賞受賞歴参照
公式サイトmoriken Jimdoページ at the Wayback Machine (archived 2016-05-24)
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森田 拳次(もりた けんじ、1939年5月11日 - )は、日本漫画家男性東京都出身。日本漫画家協会に加盟[1]
経歴

少年時代を満州国(現在の中華人民共和国東北部)で過ごし[2]、敗戦を奉天(現・遼寧省瀋陽市)で迎える[3]東京都立王子工業高等学校卒業[4]

岡友彦に師事し、高校在校中の17歳で単行本デビュー後、『丸出だめ夫』『ロボタン』などの児童向けギャグ漫画で人気を博す(#作品リスト参照)。31歳のころ[2]星新一による欧米のカートゥーン一コマ漫画)の選集『進化した猿たち』に感化され、1970年ニューヨーク在住の実弟を頼って渡米し[5][6]、雑誌『ルック』などに持ち込み活動を行うかたわら、アメリカのサム・グロス(英語版)らと交友を深める[7]

1971年5月ごろ[8]、現地での生活のため、元アシスタントらを日本から呼び寄せ、書店を自営する(当時森田が所持していたビザでは勤務による給与所得が許されず、漫画での報酬を含めた自己資本による事業しか自活の方法がなかったという)が、7日で倒産[9]。まもなく帰国する。

少年漫画、大人向け一コマ漫画を執筆するかたわら、1987年、FECO(スペイン語版)(Federation of European Cartoonists Organizations、ヨーロッパ漫画家連盟)の会員・山井教雄の誘いを受け「FECO NIPPON(フェコ・ニッポン)」を結成、同団体は後に「JAPUNCH」となる。また、戦時体験を作品でつづる「『私の八月十五日』の会」をちばてつやさいとうたかをらと結成し、代表幹事となる[3]
受賞歴

1963年 第5回
講談社児童まんが賞(『丸出だめ夫』)

1982年 ベルギークノック=ヘイスト国際漫画祭(英語版)Cartoon book of the year[2][注釈 1](『1コマ1/2 ザ・ファミリー・オブ・マンガ』[10]

1982年 第11回日本漫画家協会賞優秀賞(『1コマ1/2 ザ・ファミリー・オブ・マンガ』)

2005年 第34回日本漫画家協会賞大賞(『私の八月十五日』)

2014年 第43回日本漫画家協会賞文部科学大臣賞(展覧会『私の八月十五日』など)

読売国際漫画大賞
金賞1回、優秀賞10回[2]

上記のほか、諸外国で「10回程[1]」の受賞歴があるという。
JAPUNCHの一員として


2001年 第5回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞(『ビバ、シェフ!』)[11]

中国引き揚げ漫画家の会の一員として


2002年 第6回文化庁メディア芸術祭マンガ部門特別賞(『少年たちの記憶』)

アシスタント

ジョージ秋山

芝しってる

清つねお

川手浩次

作品リスト

共著作品を除く。
児童・少年漫画


ポパイ少年画報 1961年 - 1965年)

おんぼろ記者ポッポ(少年キング 1963年)

丸出だめ夫週刊少年マガジン 1964年 - 1967年)


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