もりた ふじお
森田 富士郎
生年月日 (1927-12-24) 1927年12月24日
没年月日 (2014-06-11) 2014年6月11日(86歳没)
出生地京都府葛野郡太秦村
死没地京都府京都市
国籍 日本
民族日本人
職業撮影技師・撮影監督・特撮監督
ジャンル映画・テレビドラマ
活動期間1947年 - 2014年
主な作品
映画
『眠狂四郎炎情剣』
『座頭市二段斬り』
『大魔神シリーズ』
『人斬り』
『桜の代紋』
『子連れ狼 冥府魔道』
『本陣殺人事件』
『鬼龍院花子の生涯』
『陽暉楼』
『極道の妻たち』
『吉原炎上』
『226』
『利休』
『女殺油地獄』テレビドラマ
『木枯し紋次郎』
『座頭市物語』
『横溝正史シリーズ 犬神家の一族』
受賞
日本アカデミー賞
最優秀撮影賞
第7回『陽暉楼』会長特別賞
第38回 [1]
その他の賞
日本映画撮影監督協会
三浦賞
1966年『大魔神』紫綬褒章
1995年
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森田 富士郎(もりた ふじお、1927年12月14日 - 2014年6月11日)は、日本の撮影技師、撮影監督、特撮監督。
来歴の同級生だった。1945年(昭和20年)、京都市立第一工業学校卒業[2]。
1947年(昭和22年)、大映京都撮影所撮影部に戦後第一号入所。撮影助手として相坂操一
キャメラマンに師事。当時、敗戦後の復員によって、京都撮影所は撮影助手だけで総勢40人の大所帯だった。相坂の他、杉山公平、宮川一夫の撮影助手も多数務めた。1949年(昭和24年)、『幽霊列車』(野淵昶監督)、『透明人間現わる』(安達伸生監督)で円谷英二の特撮助手を務め、これが円谷との出会いとなる。
1957年(昭和32年)、『赤胴鈴之助 一本足の魔人』(安田公義監督)で相坂と共にビスタビジョン撮影を担当。
1960年(昭和35年)、『透明天狗』(弘津三男監督)で特撮を担当。
1962年(昭和37年)、『山男の歌』(村山三男監督)で撮影監督を務める。
1964年(昭和39年)、『あしやからの飛行』(日米合作、マイケル・アンダーソン監督)でブルーバック合成を含め、特撮パートを10万フィート撮影。
1966年(昭和41年)、『大魔神』(安田公義監督)で黒田義之とともに特撮を担当し、続く『大魔神怒る』(三隅研次監督)とともに、本編・特撮を兼任撮影する。『大魔神逆襲』(森一生監督)では特撮部分を撮影。この『大魔神』で日本映画撮影監督協会から三浦賞を贈られる。
1968年(昭和43年)、『妖怪百物語』(安田公義監督)で特撮を担当。
1970年(昭和45年)、『透明剣士』(黒田義之監督)で特撮を担当。
上記した以外にも、大映京都で数々の映画撮影・特殊撮影をこなしたが、なかでも『兵隊やくざシリーズ』、『座頭市シリーズ』、『眠狂四郎シリーズ』は、「カツライス」(勝新太郎と市川雷蔵)の大映京都二枚看板の人気シリーズとなった。大映倒産後も、「勝プロ」製作の「座頭市シリーズ」に継続参加。
1971年(昭和46年)、大映が倒産。三隅ら旧大映のスタッフとともに「映像京都」の設立に加わる。フジテレビのTV時代劇『木枯らし紋次郎』(1972年)や『座頭市』(1974年)にキャメラマン参加。
1975年(昭和50年)、ATG+映像京都で『本陣殺人事件』(高林陽一監督)を撮影。
1982年(昭和57年)、東映京都で『伊賀忍法帖』(斎藤光正監督)を撮影。