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森 瑤子
誕生1940年11月4日
静岡県伊東市
死没 (1993-07-06) 1993年7月6日(52歳没)
東京都多摩市
職業小説家、エッセイスト
国籍 日本
最終学歴東京藝術大学器楽科卒業
活動期間1978年 - 1993年
ジャンル恋愛小説
代表作『夜ごとの揺り籠、舟、あるいは戦場』
『スカーレット』
主な受賞歴すばる文学賞(1978年)
デビュー作『情事』
子供ヘザー・ブラッキン・村井(長女)
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森瑤子(もり ようこ、1940年11月4日 - 1993年7月6日) は、1980年代に活躍した日本の小説家。本名、伊藤雅代。静岡県伊東市出身。37歳でデビューしてから52歳で没するまでの短い活動期間に、小説、エッセイ、翻訳など100冊を超える著作を生んだ。作品は20回以上テレビドラマ化されている。森瑶子名義の著作多数、ノートを参照。目次
1 経歴
2 著書
2.1 小説
2.2 エッセイ
2.3 対談集
2.4 自選集
2.5 翻訳
2.6 楽曲提供(作詞)
3 参考文献
4 外部リンク
経歴
伊藤三男、喜美枝の長女として静岡県伊東市に生まれる。本名、伊藤雅代。弟1人、妹1人。
1941年(昭和16年) 1歳 父の仕事の関係で、4歳まで中国の張家口に暮らし、終戦直前1945年3月に日本に戻る。
1946年(昭和21年) 6歳 父のすすめでヴァイオリンを学び始める。
1947年(昭和22年) 7歳 祐天寺より下北沢に転居。小学生時代、世界文学全集に親しむ。
1949年(昭和24年) 9歳 この年より1965年まで、母親はアメリカ、ドイツ、カンボジアなど世界各国からの留学生を自宅に受け入れた。
1959年(昭和34年) 19歳 東京藝術大学器楽科入学。フランソワーズ・サガン、ジャン=ポール・サルトル、アルベール・カミュなどフランス文学に傾倒。ほとんどヴァイオリンへの興味を失い、詩人、画家など、異分野の人々と交流。
1963年(昭和38年) 23歳 東京藝術大学卒業。広告代理店に勤める。
1964年(昭和39年) 24歳 夏、イギリスを出発後、最終目的地のオーストラリアを目指して43力国を旅し、途中の日本に立ち寄ったチェシャー出身の英国人アイヴァン・ブラッキンと知り合い、婚約。
1965年(昭和40年) 25歳 婚約後6カ月を経て1月、結婚。東池袋のアパートで、新婚生活をスタート。夫婦共稼ぎを続けながら、田園調布に転居。
1967年(昭和42年) 27歳 9月、長女ヘザー誕生。朝日広告社を退社。フリーのコピーライターに。子育てのため、三浦半島突端の諸磯の家を借り、専業主婦。その後、次女マリア、三女ナオミ・ジェーン誕生、3女の母となる。
1973年(昭和48年) 33歳 長女ヘザーのインターナショナル小学校入学のため、六本木に夫のオフィス兼用の家を借りる。この子育ての時期、ロアルド・ダール、サキ、レイ・ブラッドベリなどの海外作品を読みふける。
1977年(昭和52年) 37歳 夫がいて子供がいて、生活は豊かで幸福だったが、たまらなくひもじく、自分自身に絶望していた時期、池田満寿夫が『エーゲ海に捧ぐ』で芥川賞を受賞したのを知り、それに刺激されて『情事』を書く。
1978年(昭和53年) 38歳 『情事』で第2回すばる文学賞受賞。『すばる』12月号に掲載。
1979年(昭和54年) 39歳 10月、『すばる』に「誘惑」発表、第82回芥川賞候補となる。夏頃、六本木から下北沢に転居。またこの頃から軽井沢に別荘(旧松方家別荘。旧サロモン別荘とも)を借り、そこで一家で避暑生活を送りはじめる。
1982年(昭和57年) 42歳 『傷』で、第85回芥川賞候補。
1983年(昭和58年) 43歳 『熱い風』で、第88回直木賞候補、『風物語』で第89回直木賞候補。9月、初めての書き下ろし作品『夜ごとの揺り籠、舟、あるいは戦場』を講談社より刊行。