森川美穂
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出典検索?: "森川美穂" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2014年2月)

もりかわ みほ
森川 美穂
出生名榎並美穂(えなみみほ)
生誕 日本 (1968-05-05) 1968年5月5日(55歳)
出身地大阪
ジャンルアイドル歌謡曲J-POPアニメソング
職業歌手大学教員(教授
担当楽器ヴォーカル
活動期間1985年 -
レーベルVAP(1985年 - 1990年)
東芝EMI(1990年 - 2000年)
ヤマハミュージックコミュニケーションズ(2001年 - 2002年)
ベルウッドレコード(2010年)
キャピタルヴィレッジ(2016年‐)
徳間ジャパンコミュニケーションズ(2017年‐)
事務所ヤマハ音楽振興会(1985年 - 2002年)
とらねこ(2003年 - 2004年)
オフィスとんで(2005年 - 2008年)
MUV RINOIE(2007年 - )DIVA×DIVAマネージメント
KT plus Entertainment(2008年 -2016年)
築音堂(2016年)
rezosense(2017年 - 現在)

森川 美穂(もりかわ みほ、1968年5月5日[1][2] - )は、日本の女性歌手女優大阪芸術大学演奏学科教授(ポピュラー音楽コースを担当[3])。本名は榎並 美穂(えなみ みほ)。大阪府出身。日出女子学園高校卒業。

所属事務所ヤマハ音楽振興会→とらねこ→オフィスとんで→KT plus Entertainment→築音堂→rezosense。現在の所属レコード会社は徳間ジャパンコミュニケーションズ、キャピタルヴィレッジ。身長163cm。血液型B型。息子は俳優の榎並蘭丸
来歴
生誕?デビューまで

魚屋を営む家に生まれる。家族は、両親、兄、弟。

小学校時代から気が強い性格で、女の子と遊ぶより男の子と活発に遊ぶことを好んだ。また、実弟にプロレス技をかけて遊んでたというエピソードもある。一方で、梓みちよ八神純子岩崎宏美大橋純子沢田研二などの個性的で実力派といわれた歌手に憧れていた。ヘアブラシをマイク代わりにして歌を唄っていたという。この頃、地域で開催されたのど自慢大会やテレビ番組の子供向けの歌のコンテストに出場し、数々の入賞を果たしている。

中学に入学したころから本格的に歌手になることを決意。早速行動を起こし、渡辺プロダクションの東京音楽学院大阪校に通い、ボイストレーニングを受けるようになる。早い段階から元来の才能が芽吹き、磨きがかかり実力と自信をつけていった。歌唱力に加え、容姿も良かったため、渡辺プロダクションから正式に事務所に所属し、アイドル歌手としてデビューするよう打診があった。しかし、まだ中学生であったため、心配した実父の大反対によりデビュー話は一旦差し戻されてお蔵入りに(著書:1990年出版「テーブル越しの好奇心」記載のエピソードから)。

諦めきれなかった森川は、第1回1981年(昭和56年)、ヤマハボーカルオーディションを受け、大阪地区代表に選出される。最終結果は不合格だったが、ヤマハのスタッフに別途スカウトされ、改めてヤマハでボイストレーニングを開始する。

1983年(昭和58年)、本名:榎並美穂で、オリジナル曲「ハネムーンサラダ」で第26回ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)に近畿地区代表で出場。その時、同じ地区代表に選ばれたのが、グランプリを獲得した辛島美登里だった。辛島曰く「美穂ちゃんは当時中学生なのに歌手になる信念がしっかりしていた。しかもちょっと気が強い子で可愛かった」と語っている。

1983年(昭和58年)、第2回ヤマハボーカルオーディション「ザ・デビュー」(現「MUSIC REVOLUTION」)にて約1万人の中からグランプリを受賞。これがきっかけで、ヤマハ音楽振興会に所属。レーベルはVapレコード。歌手デビュー前に、第1回ヤマハヴォーカルオーディション「ザ・デビュー」グランプリの小林千絵主演ミュージカル『小公女セーラ』に出演している。
アイドルデビュー

1985年(昭和60年)7月21日、シングル「教室」で、アイドル歌手としてデビュー。当時高校2年16歳だった。キャッチコピーは「涙ひとつ、おいてきます。」、「多感世代のヴォーカルヒロイン」、「振り向いて、MIHO」の3パターン。オリコン最高38位ではあるものの、「高校中退」というテーマとその歌唱力で話題を呼び、スマッシュヒットとなった。芸名の姓“森川”は、母親の旧姓にちなむ。Vapレコードの一押しアイドル歌手で、ザ・トップテンの今週の話題曲として紹介された。番組内で当時同じレコード会社だった先輩アイドル歌手・菊池桃子の妹分として紹介され共演を果たした。本人はポスト菊池桃子的なレコード会社の売り方が嫌で、同世代の渡辺美里小比類巻かほる中村あゆみのような音楽性を希望していた。同期には本田美奈子中山美穂南野陽子大西結花斉藤由貴森口博子芳本美代子浅香唯など、のちにトップアイドルになる顔ぶれと並んでの華々しいデビューだった。デビューから間もなく、1985年10月6日からRKB毎日放送ラジオで『森川美穂のラブリーナイト』が、次いで同年10月12日から東海ラジオで『森川美穂の青春放送局』がスタート。後者『青春放送局』で東海地方の深夜枠では欠かせない存在となり、森川組(しんせんぐみ)というリスナー組織も結成。定期的にイベントなども行い、ファン層が拡大していく(1991年に森川組は解散)。

1986年(昭和61年)、「自ら命を絶とうとする女学生」をテーマとしたシングル「赤い涙」、本人出演 MAXコーヒーCMソング、シングル「サーフサイド・ブリーズ?真夏の風」、ミノルタカメラ『AFテレ』CMソングシングル「姫様ズーム・イン」を発売。ファーストアルバム『多感世代』発売。ファーストアルバム発売を記念して、ファーストコンサートツアー「多感世代」(東京・渋谷エピキュラス〈8月21日〉、大阪・ヤマハなんばセンター〈8月27日〉)を行う。

1987年(昭和62年)、飛鳥涼作詞作曲のシングル「おんなになあれ」や「PRIDE」がヒット。「おんなになあれ」では、HER-Bestの歌詞カードの中に当時のエピソードして飛鳥が「制服を脱いで1人のおんなとして恋をしたら美穂はどんな恋をするんだろう…と思ってこの歌を作ったんだよ」と披露している。この2曲を機にロックを基調としたアーティスト路線に変更し、この頃には「学園祭の女王」と呼ばれるようになる。初ホールコンサートツアー「おんなになあれ・夏」(大阪・大阪厚生年金会館〈8月28日〉、東京・日本青年館〈8月31日〉)を行う。

1988年(昭和63年)、ベルエクラCMソングシングル「Be Free」、ミノルタカメラCMソングシングル「わかりあいたい」、シングル「Real Mind」を発売。


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