もりさき ひろゆき
森崎 博之
ウポポイオープニングイベントにて(2020年)
本名森ア 博之(もりさき ひろゆき)
生年月日 (1971-11-14) 1971年11月14日(52歳)
出生地 日本・北海道上川郡東川町
身長178 cm[1]
血液型O型[1]
職業俳優・タレント・声優・ナレーター・映画監督・演出家・脚本家・歌手・シンガーソングライター・DJ・ラジオパーソナリティ・スーツアクター
ジャンルテレビドラマ・映画・バラエティ・舞台・CM など
活動期間1990年 -
配偶者既婚(2005年 - )
所属劇団TEAM NACS
(1996年 - )
劇団イナダ組
(1993年 - 2006年)
OOPARTS
(1993年)
モリプロ
(2004年)
事務所CREATIVE OFFICE CUE
(1999年 - )
アミューズ
(2004年 - /業務提携)
公式サイトCREATIVE OFFICE CUE 公式プロフィール
森崎 博之(もりさき ひろゆき、1971年11月14日 - )は、日本の俳優、タレント、声優、ナレーター、映画監督、演出家、脚本家、歌手、シンガーソングライター、DJ、ラジオパーソナリティ、スーツアクター。愛称は「リーダー」、「モリ」。所属事務所はCREATIVE OFFICE CUE[1]、業務提携先はアミューズ[2]。演劇ユニット・TEAM NACSに所属し、リーダーを務めている。
現在も地元・北海道のローカルタレントとして活動している。この他、声優、ナレーター、映画監督、演出家、脚本家、歌手、シンガーソングライター、DJ、ラジオパーソナリティ、スーツアクター(もん太くん)などとしても活動。北海道上川郡東川町出身[1]。血液型はO型[1]。既婚[3]。 東川町で産まれる[4]。公務員である父の都合で、2歳の時に札幌市に引っ越す[4]。その後、8歳の時に東川町に戻る[4]。推薦で北海道旭川西高等学校理数科に入学し、1990年に卒業(高校の後輩に後のTEAM NACSメンバーとなる音尾琢真がいる)[4]。 1990年4月、指定校推薦で北海学園大学法学部法律学科に入学し、演劇研究会に所属する[4]。演劇研究会に入った動機は、文化系でみんなで一緒に作りたいと考えていたところ、当時の会長が「ミス小樽」であったためであったという[4]。 1993年からは、学生時代から演劇研究会活動の傍ら、稲田博が主宰する劇団イナダ組に所属(2006年まで)[5]。この他、鈴井貴之主宰のOOPARTSに所属したこともあった[注釈 1][6]。1996年、演劇研究会で出会った後輩の安田顕、佐藤重幸(現・戸次重幸)、大泉洋、音尾琢真の4人と共に、大学を卒業する自身と安田[注釈 2]の卒業公演を行うための1回限りの演劇ユニットとして「TEAM-NACS」[注釈 3]を結成。公演終了後、解散する[4]。 大学卒業後は演劇から離れ上京し、証券会社に就職する[4]。証券会社では、1年目から社長賞でハワイ旅行をもらうほど優秀な成績であった[4]。しかし、体調を崩し、札幌でかつての演劇仲間と会ったことからホームシックに陥り、祖父の死を機に、就職から9ヶ月で会社を辞め、北海道に戻る[4][7]。 こうして、1997年にTEAM-NACSを再結成。TEAM-NACSの主宰として脚本・演出・出演をこなし、TEAM-NACSの精神的支柱を担う。フリーの活動を経て、1999年に冠番組である『いばらのもり』(北海道テレビ)[8]が放送されることがきっかけで、TEAM NACSの大泉洋と安田顕が所属するCREATIVE OFFICE CUEに加入[9]。所属後は、『ドラバラ鈴井の巣』(北海道テレビ)、『YASUのえき☆スタ@noon』(北海道文化放送)、旅コミ北海道(テレビ北海道)をはじめとした北海道ローカル番組に出演する。 2004年5月にTEAM-NACSの第10回公演として行われた舞台「LOOSER?失い続けてしまうアルバム?」のサンシャイン劇場での東京公演で東京に初進出。
経歴