森山 大道
本名森山 ひろみち(漢字不明)
ふりがなもりやま だいどう
国籍 日本
出身地 日本、大阪府池田町(現:池田市)
生年月日 (1938-10-10) 1938年10月10日(85歳)
血液型A型
最終学歴平安高校二部(夜間部)中退
師匠岩宮武二、細江英公
活動時期1963年 -
公式サイトhttps://www.moriyamadaido.com/
森山 大道(もりやま だいどう、本名:ひろみち、1938年10月10日 - )は、日本の写真家。大阪府池田市生まれ。
ハッセルブラッド国際写真賞、ドイツ写真家協会賞、朝日賞、毎日芸術賞、日本写真協会作家賞などを受賞。
日本のみならず、海外でも高く評価されている。アメリカ、イタリア、イギリス、フランス、オーストリア、ベルギー、ドイツ、中国、スペインなどでも個展を開いている。
東京工芸大学客員教授、京都造形芸術大学客員教授、専門学校東京ビジュアルアーツ顧問、専門学校名古屋ビジュアルアーツ特別顧問。過去に、ワークショップ写真学校や東京写真専門学校(現 東京ビジュアルアーツ)の講師など、さまざまな写真教育活動に当たるなど、教育活動にも力を入れている。
略歴ロンドンにて
1938年10月10日 大阪府池田町(現:池田市)で生誕。森山家は島根県大田市の出。父親の転勤で各地を転々、広島、島根、千葉、東京など育ち、小学校5年の時、大阪に戻る。
1954年 平安高校二部(夜間部)に入学するが中退。
1958年 フリーの商業デザイナーとして、大阪市中央区平野町に事務所を設立。
1959年 岩宮武二のスタジオにアシスタントとして入る。
1961年 岩宮の紹介で写真家集団「VIVO」に参加するため上京するも、参加直前に解散。
1962年 VIVO解散後、細江英公の助手となる。
1963年 フリーの写真家となり、神奈川県逗子市へ移る。
1964年 横須賀に写真を撮りに通い続ける。
1964年 映画『飛べない沈黙』(1966年公開、黒木和雄監督)のスチル撮影を担当する。
1966年 主な撮影地を横須賀から熱海、新宿、浅草などに移す。
1966年 東京都渋谷に中平卓馬と共同事務所を開設。
1967年 「カメラ毎日」に発表した『にっぽん劇場』シリーズなどが評価され、第11回日本写真批評家協会新人賞を受賞。
1968年 中平に誘われ、雑誌「プロヴォーク」に第2号より参加する。
1969年 「アサヒカメラ」「カメラ毎日」「朝日ジャーナル」「太陽」「デザイン」等の雑誌に写真を発表。
1970年 「アサヒカメラ」の表紙を担当すると共に、ドキュメンタリータッチの新聞広告を手がける。
1970年 「プロヴォーク」解散。
1971年 横尾忠則の誘いにより、ニューヨークに1ヶ月滞在。
1972年 「アサヒカメラ」4月号に森山大道特集『特別レポート 森山大道=その映像のナゾ』が組まれる。
1974年4月 細江、荒木経惟、東松照明、深瀬昌久、横須賀功光とともに、それぞれが教室を持つ、寺子屋スタイルの「ワークショップ写真学校」を開講。
1975年 東京写真専門学校(現専門学校東京ビジュアルアーツ)の専任講師として、総合写真ゼミを担当。
1976年3月 ワークショップ写真学校解散。
1976年6月 新宿に菊池大一郎、北島敬三、倉田精二、杉本建樹、徳永浩一、山崎和英らとイメージショップ「CAMP」を開設。
1977年6月 森山大道塾を開講(翌年3月に閉講)。
1978年 約3ヶ月間、札幌に住む。
1980年4月 海外で初となる個展をオーストリアのグラーツにて開催。ヨーロッパに1ヶ月間滞在し、古屋誠一とともに各地を巡る。
1981年 北島とともに「CAMP」を脱会。
1983年 「日本カメラ」A部大型白黒写真コンテストの年間審査員を務める。