森山 加代子
『映画情報』1960年12月号(国際情報社)より
基本情報
出生名林紀代子
生誕 (1940-03-23) 1940年3月23日
出身地 日本・北海道函館市
死没 (2019-03-06) 2019年3月6日(78歳没)
ジャンルポップス、歌謡曲
職業歌手
活動期間1960年 - 2019年
森山 加代子(もりやま かよこ、1940年3月23日 - 2019年3月6日)は、北海道函館市出身の日本の歌手。 ニックネームは「かよチャン」。1958年夏、札幌のジャズ喫茶『ロータリー』で歌っていたところを、マナセプロダクション社長の曲直瀬正雄
概略
続く「メロンの気持」「月影のキューバ」も、競作ながら森山盤が群を抜き、1960年代前半に洋楽のカバー曲(和製ポップス)を中心としたヒット曲を連発。さらに「じんじろげ」「パイのパイのパイ」など、コミカルなイメージをベースとした面白ナンセンスな歌謡曲でも数多くのヒットソングを飛ばす。中でも1961年リリースの作詞:渡舟人、作曲:中村八大による「じんじろげ」は、その年の流行語にもなった。
この時期、テレビのレギュラー番組を数本もこなしていた超売れっ子アイドルだったが、1962年7月、所属事務所のマナセプロダクションとの契約満了により突然独立し、20歳で自分の事務所を設立。同月に発売した「五ひきの仔ブタとチャールストン」は大ヒットし、同年の『第13回NHK紅白歌合戦』にも3年連続で無事に選ばれたものの、活動してもテレビやラジオ、マスコミに取上げられる機会さえ奪われ、事務所独立と同時に森山の人気は急降下。「五ひきの仔ブタとチャールストン」が実質上最後のヒット曲となった。
その後、テレビやラジオには出演せず、地方への営業を行いながら、すっかり世間から名前も遠ざかっていた1968年、久々に新潟のキャバレーでの仕事が入り、自身の懐かしい歌を歌って出演中、楽屋に突然やって来た水原弘に「もう一度メジャーでやってみないか」と励まされ、1969年に社長業に終止符を打ち、新事務所とコロムビアレコードと契約。再起を期してリリースしたシングルが、同年11月21日にレコーディングし、1970年1月に発売した「白い蝶のサンバ」である。
「白い蝶のサンバ」は阿久悠の詞が先にあり、5曲ほどの候補曲がつけられていた中から森山自身が、井上かつおの作曲を聴いた瞬間に選定。早口口調のユニークな出だしで、サンバの軽快なリズムにのせた純国産のポップな歌謡曲は、ミリオンセラーの大ヒットとなり、この曲でこの年の『第21回NHK紅白歌合戦』に、8年振り4度目の出場。森山は当初「一度売れた歌手なんだ。『もう一度スターに舞い戻ろう』…なんて大それた夢を見るのは、もうよそう」と思っていたという。
続く「ふりむいてみても」「花喰う蟲のサンバ」もスマッシュヒット、1972年にはマネジャーと結婚[1]。その後も、舞台やショーで歌手として活動した。
公の活動は2012年のテレビ出演が最後となり、同2012年3月13日、『NHK歌謡コンサート』(NHK総合)に出演。同2012年10月4日放映の『名曲ベストヒット歌謡』(テレビ東京)にも出演し、「月影のナポリ」を歌唱。同2012年10月11日、ゆうぽうとで開催された「秋の歌謡フェスティバル」にも出演した。
2019年3月6日、大腸癌のため78歳で死去した[2]。 ※ダニー飯田とパラダイスキングで発売された楽曲は、ダニー飯田とパラダイスキングも参照。 ※(★)印曲は、2003年3月現在で未CD化 発売日品番面タイトル作詞作曲編曲備考 ザ・ピーナッツとの競作 訳:ホセ・しばさき
シングル
東芝レコード時代(1960?1967)
1960年6月JP-5036A月影のナポリ訳:岩谷時子B.D.Filippi皆岡進Mina『Tintarella di luna』のカバー。
B白鳥の恋訳:ホセ・しばさきチャイコフスキー平岡精二チャイコフスキー「白鳥の湖」より。
1960年8月JP-5041Aメロンの気持Carlos Rigual
坂本スミ子との競作。
後にゴールデン・ハーフがカバー
B悲しきインディアン訳:森山加代子リチャードスン宮川泰かまやつヒロシとの競作